浜崎あゆみの新恋人が離婚した相手 RYONRYON
ハロプロの振付師の人やあああああああああああああああ!
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あっそういえばみたいな!
そんなお人だったとは!!!!!
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キリスト教には7つの大罪という言葉があるらしい
その言葉を羅列してみると
傲慢 嫉妬 憤怒 怠惰 強欲 暴食 色欲
正しく日本語を覚えているか気になったので
weblio辞書なるサイト(http://www.weblio.jp/)で
調べてみることにする。
まず傲慢
思い上がって横柄なこと。人を見下して礼を欠くこと。また、そのさま。不遜。
次に嫉妬
(1)人の愛情が他に向けられるのを憎むこと。また、その気持ち。特に、男女間の感情についていう。やきもち。悋気(りんき)。
「―心」「夫の愛人に―する」
(2)すぐれた者に対して抱くねたみの気持ち。ねたみ。そねみ。
「友の才能に―をおぼえる」
憤怒
大いに怒ること。ふんぬ。
怠惰
なまけること。なまけてだらしないこと。また、そのさま。
強欲
非常に欲が深い・こと(さま)。
暴食
度を過ごして食べること。
そして 色欲
男女の性的な欲望。情欲。
そもそも7つの大罪という言葉には由来があり 元々は八つの枢要罪(すうようざい)という4世紀のエジプトの修道士の著作からきているらしい
この時には 「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」 と
憂鬱という言葉が 枢要な罪として数えられていたのだ。
憂鬱は その後 7つの大罪となる際に 怠惰と 一緒くたにされてしまったらしい。
ジークムント・フロイトなる人物の1917年に著した『悲哀とメランコリー』によれば
悲哀は愛する者を失って それはまあ時間が経てば解決するものらしく
憂鬱についてはこう記している
「苦痛にみちた深い不機嫌さ・外界にたいする関心の放棄、愛する能力の喪失、あらゆる行動の制止と、自責や自嘲の形をとる自我感情の低下」
要するに現在の引きこもり問題のようなものではないだろうか
傲慢 嫉妬 憤怒 暴食 強欲 色欲
この言葉が並んでるのは 分かるが
怠惰(憂鬱)
この言葉はまた 別の色を持っているように感じる
世の中に人に横柄な態度を取るのは 自らの力を示したいからだ。
人に嫉妬するのは 他人の能力が羨ましいからだ。
人に憤怒するのは 他人の無礼が我慢ならないからだ。
暴飲暴食するのは どうにもならない欲望を 発散させたいからだ
強欲なのは 満足感を得るためだ
色欲に興ずるのも 自らの力を示したいからだ。
これらの攻撃的な欲に比べ 憂鬱という言葉は 非常に攻撃力を感じない
並べた6つの大罪を持っていない者は皆
この一つの大罪を背負ってるのではないかというように 感じる
キリスト教の 人間皆罪人なんだよ という考え方に準ずるものだからなのだろうか
そしてこの怠惰こそが 最も悪い罪であるかのように感じる
最近俺も 憤怒することは無くなったし
色欲といっても どこか冷めた目でみていたりもする
傲慢になれるほど 偉くもなく
嫉妬するのにも 疲れてきた
暴食は太るから嫌いだし
強欲は 金も無いし諦めてる
かといって 現代病である鬱病にかかってる気もしない
人間であることに対して なまけているのかもしれない
職場でよくキレる上司を見て 気持ち良さそうだなと思うこともあるが
その分嫌われかねないし 大変そうだなと思う。
草食系といわれる世代だが
憤怒無き世代
と称す方がしっくりくるのではなかろうか。
その言葉を羅列してみると
傲慢 嫉妬 憤怒 怠惰 強欲 暴食 色欲
正しく日本語を覚えているか気になったので
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調べてみることにする。
まず傲慢
思い上がって横柄なこと。人を見下して礼を欠くこと。また、そのさま。不遜。
次に嫉妬
(1)人の愛情が他に向けられるのを憎むこと。また、その気持ち。特に、男女間の感情についていう。やきもち。悋気(りんき)。
「―心」「夫の愛人に―する」
(2)すぐれた者に対して抱くねたみの気持ち。ねたみ。そねみ。
「友の才能に―をおぼえる」
憤怒
大いに怒ること。ふんぬ。
怠惰
なまけること。なまけてだらしないこと。また、そのさま。
強欲
非常に欲が深い・こと(さま)。
暴食
度を過ごして食べること。
そして 色欲
男女の性的な欲望。情欲。
そもそも7つの大罪という言葉には由来があり 元々は八つの枢要罪(すうようざい)という4世紀のエジプトの修道士の著作からきているらしい
この時には 「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」 と
憂鬱という言葉が 枢要な罪として数えられていたのだ。
憂鬱は その後 7つの大罪となる際に 怠惰と 一緒くたにされてしまったらしい。
ジークムント・フロイトなる人物の1917年に著した『悲哀とメランコリー』によれば
悲哀は愛する者を失って それはまあ時間が経てば解決するものらしく
憂鬱についてはこう記している
「苦痛にみちた深い不機嫌さ・外界にたいする関心の放棄、愛する能力の喪失、あらゆる行動の制止と、自責や自嘲の形をとる自我感情の低下」
要するに現在の引きこもり問題のようなものではないだろうか
傲慢 嫉妬 憤怒 暴食 強欲 色欲
この言葉が並んでるのは 分かるが
怠惰(憂鬱)
この言葉はまた 別の色を持っているように感じる
世の中に人に横柄な態度を取るのは 自らの力を示したいからだ。
人に嫉妬するのは 他人の能力が羨ましいからだ。
人に憤怒するのは 他人の無礼が我慢ならないからだ。
暴飲暴食するのは どうにもならない欲望を 発散させたいからだ
強欲なのは 満足感を得るためだ
色欲に興ずるのも 自らの力を示したいからだ。
これらの攻撃的な欲に比べ 憂鬱という言葉は 非常に攻撃力を感じない
並べた6つの大罪を持っていない者は皆
この一つの大罪を背負ってるのではないかというように 感じる
キリスト教の 人間皆罪人なんだよ という考え方に準ずるものだからなのだろうか
そしてこの怠惰こそが 最も悪い罪であるかのように感じる
最近俺も 憤怒することは無くなったし
色欲といっても どこか冷めた目でみていたりもする
傲慢になれるほど 偉くもなく
嫉妬するのにも 疲れてきた
暴食は太るから嫌いだし
強欲は 金も無いし諦めてる
かといって 現代病である鬱病にかかってる気もしない
人間であることに対して なまけているのかもしれない
職場でよくキレる上司を見て 気持ち良さそうだなと思うこともあるが
その分嫌われかねないし 大変そうだなと思う。
草食系といわれる世代だが
憤怒無き世代
と称す方がしっくりくるのではなかろうか。



