Life fitness 社が出している
歩行マシーンに乗っているとき、
トレナーナーが、
「脚の付け根に意識を入れてみてください。」
と
教えてくださる。
彼らは、人の身体のクセを
すばやく分析して理解し、
それらが正常な機能として
動くように
提案してくれる。
言語学者ではない◇が、
一体誰に向けてアドヴァイスをしようか・・・。
これからの自分への付箋として
書いておくことする。
ど
う
や
ら
◇は、人が話す言葉を 慌てて、
(※聴こえた段階で映像に変わるため)
文章に転換し、
理解してきたのかもしれない。
こう導き出すのは、
2010年の12月19日に記事にした
を
参照してみた。
当時◇は幼く、
英語を話す人の口から出て行った、
あちこち散らばった
沢山のアルファベットを視ていた。
それはとてもショックな映像として
記憶に焼きついた。
一昨日までの◇は、これは母国語ではないから、
そういう風に視えたのだろう。と思いこんでいた。
ところが違ったようである。
◇は身近な人や、若干心を開きつつあったり、
打ち解けてきた間柄に発展すると、
この症状が出やすくなる。
残念なことに、これは誤解されやすく
決してふざけている訳ではない。
建て前や社交辞令ができない◇は、
つい本音が出るときがある。
外出中は常に緊張しており、
それは色々なものが視えないように
自分の視界を縛っていたからだった。
ところが、
それをせずとも、
この方といると、気が休まる。
彼女達が現れると、
美しい空間に招かれたような気分になる。
イトコといると、銅版も視えてしまう。
など。
第三者に対して、全く緊張せず、
自分の中で制限することが不必要になったとき、
一度に視界の盾を下ろす。
す
る
と、
急激に 色々視え 受け取りやすくなり、
最終的には、人に付随している最低3種類以上のものまで
接することになり、日常が困難になってしまうのである。
人間、他人を尊敬したり、信頼したり、してみたい。
時には愛を感じたり、シェアしたり、していたい。
考える思考をオフにして、流れに身を委ねたい。
特に何もしていなくても、
思い当たる人達に、心を開いてみたくなる。
◇