◇が高校2年生の頃。
この時期の教室は、
壁
や
床
、
天井
か
ら
の
隙間風
な
ど
で
、
一応東京の冬事情の中では、
身
に
沁みた
極寒さ
を
経験したものでした。
教室に備え付けられていた
丸太を入れて使う牧ストーブや
零下にならないと点けてはいけないヒーターなど、
現代の社会では
マッチし難い学園の伝統常識の中、
いろいろと、思い悩む成長期を生徒達は過ごしました。
タイトルの、数学の黒板。ですが、
◇はこのとき習っていた
男子部からいらっしゃる数学の先生が書く
二次関数のグラフが、ジッとしていてくれないことに
憤慨していました。
なんで他の先生が書かれたグラフは、途中で壊れたり
座標棒に線が引っかかって、
上下凸グラフの下体がグラつくだけで済むのに、
高橋?先生が書かれたグラフに限って、
最終形態として船のように完成したグラフが、
黒板からハミ出てどこかへ行ってしまったり、するのだろう?
「先生!黒板にグラフがありません!今さっきまでいたのに!」
と、
何回言いたい目で訴えたかった、か。
◇はこのコロ。
どうしてグラフは動くんだろう?
そしてそれはどこの誰に聞けば、
正確な答えがもらえるだろう?
と
おもいなやんでいました。
◇はよく、大きな書店に行っては、一日かけて
学術的・研究的・哲学系
などを
探し出して、読みふけっていました。
中でも、東京都内では池袋駅にあるジュンク堂。
東京駅のオアゾビルに入っている丸善。
が
すきで、足げに通いました。
当時の◇の周りには、
学者はいても
マニアックな多数言語学者や研究者はいませんでした。
脳化に詳しい方も、いらっしゃいませんでした。
それから
数年後。
祖母から母、
母から渡された
ダニエル・タメットの本を、ボロボロになるほど読み、思ったものです。
こんな未来が、自分にも与えられたらなあ。
多くの人に、受け取ってもらう記事がどんな媒体でも
自分の視界で起きていることを、提供すること。
ただ1つ気がかりな境界線がある。
自分にとっては現実だからノンフィクション。
でも、
他の人々にとっては、視えていない世界だから、フィクション。
◇の場合は、
子供のころから一緒に成長してきた視えるものだから、
だから、
嘘じゃないんだけど、
自分以外の視えない、視て、これなかった人たちにとっては、
そこに、在る ひとつの大きな世界を。その入り口を。
信じられければ、
嘘って言われる
の
かな。
映画やアニメーション、漫画や詩と絵画などの
既に形にされているものたちは、
それぞれが作品として、
存在することで
批判されることの対象としては、扱われにくい。
のに、
それってつまり、社会の中で、形になったものたちが、
バーチャルだったらいいのかなあ?
◇は、生きているし実在している人だけど、
この感覚を外に向けて発信しつつ、
光が当たるまでに何年かかるのかな。
もしかして、方向性を変えて、バーチャルメディア向け?
にしたら、
早いだろうか。
だからって
、
それもなあ。
。
。
。
。
。
1人1人の ほんとうのこと、1人1人にとっての うそ。
正直、イチイチ付き合っていられないな。
それでも良ければ、“書こう”かな。
そしてそれが、人の目に留まるなら、
シュールだ。
と
言って驚かれたり、
稲垣足穂 の作風に似ていると、
『一千一秒物語』
を
薦められ、
ある人達にとっては
“斬新な視点だが、そんなことあり得ない”
だなんて
新しい発見のごとく
明るく笑われることが
や
っ
く
る
未
来
の
贈 出来事も、
り物も、
そろそろ、いっかな。
そろそろ
いいかもなあ
。
。
。
◇