I have met a man in september.
何を指す一言でしょう?
私にとっては深刻な、『記憶探しの旅』です。
昨年から立て続けに記事にしてきましたが、
私には、何ヶ月もかかって
ようやく記憶できた顔の男性がいました。
その人とは生活柄かかわることがあるので、
思い出せなかったり、覚えていないこと
(ようするに、会ったときに"どなた?"と聞いてしまう事態を恐れ)
は
な
い
よ
う
に
、
別れてから
なんども、なんども、おもいだそうとやってみるのです。
毎年数名の
HFM(ハイファッションのモデル) の方々に遭遇しますが、
彼らを記憶していられるのは、その方の全身から出ている
背景や心の核の部分である本質を視る(受けとる)からであって
それらがまた強烈な映像なので、覚えやすく
その方自身を忘れ事はありません。
その方は独身で、自分にとって相性がよく、
とにかく隣にいらっしゃると、◇はリラックスするので、
あの出会いを温かい感情として育ていきたい。と、思っていました。
先月はクリスマスが明けたころ、会話をしたきりで、
今月に入り、何回かそこへ出かける用事がありましたが、
会ことはありませんでした。
悲しいことに時が経つにつれ、声や表情、
どんなお顔だったのかさえ、消えていきました。
そして全くの、出会って間もない頃に視た、
アルファベット達の主張との記憶につながるのです。
おもいだせることは、ないのでしょうか?
このまま会わなければ、あの時、刻々と“いいな”と思えた
瞬間は、カーテンに包まれ、どこかに落ちていくのでしょうか。
そのうち名前も忘れるのでしょうか。
そしてアルファベットだけになり、何も人に感じなかった、
音を介入させないように気をつけていた
マッサラな日常に、入ってゆくのかもしれません。
それは、すごく、さみしいな。
◇