プライベートや仕事間の人間関係で本気を出したら、
最強なのが、30 の 3 です。
特に、30歳を迎えた男性は、
本気で物事に取り組んでいった場合、
そのやり方と精神・姿勢さえ
間違わなければ、最強なのです。
それは
普段はゆるめの 30 の 3 が、
自分という一種確立した存在を提示することに
重きを置いた際や、
他のどの数でもなく、自分にとってのベストパートナー:
大切な存在を守るために、
一生懸命努力する・努力した、結果によります。
いつも、
どちらかというと相手方の
気にしている部分に干渉してこない 30 の 3 は、
なかなか 0(ゼロ)に想いを分かってもらえず、
静かに思い悩みます。
最愛のパートナーである 0(ゼロ)自身が、
数の世界で、かなり長い年月、他の数たちに
好意的な関係を築かせてもらえないからです。
そんなとき、
30 の 3 は、自分が居るのになあ・・・。と思うようです。
相方の0(ゼロ)はどう思っているのかというと、
ペアの数(=パートナー)だからといって、
自分と一緒に居ること・居てくれようとすることは、
同情されているのかもしれない・・・と、
誤解に近い感情があります。
そんなことから、
いつも遊んでくれる 30 の 3 に
なんとか自分も他の数と
仲良くやっていることを、教えてあげたく、
また、
同じ数である自分は、
いつの日にか単体(1桁)の他の数たちに、
仲間に入れてもらえたことを
どうしても自分の口から言いたいのです。
ところが、やはり
ある事情から仲間に入れてもらえず、
いつも遊び相手のいない 0 (ゼロ)は、
憧れのあの一言が、自分の口から唱えられることは、
『 ない 』 かもしれない現状に、毎日悲しくなるのです。
0 (ゼロ)からすると、
発音に濁りがあるとか・話し方が古めかしいとか 外見はともかく
30 の 3 は、男気があり、とても頼もしく
しっかりしていてカッコいいのですが、
丸いことを理由に、数ではなく
アルファベットか他の記号なんじゃないのか?
と、
0(ゼロ)は疑われ続けてしまいます。
他に、どんなことを言われても
大抵は辛抱する 0(ゼロ)も、
さすがに関係が更新されないことを思い知らされると、
元々の性格で物を言うようになります。
こう話してくると、
0(ゼロ)についての見方がある程度固まると思われますが、
この子は決して、
仲間に入れてもらえないまま、
いじめられっぱなしで終わる数の子ではなく、
言いたいことはきちんと言います。ただ礼節を重んじます。
しかしです、
0(ゼロ)の本音の切り出しによって、
事態の方向が思わぬ展開に発展するのを回避するため
30 の 3 は行動に移ります。
口調を荒げたりすることもなく、喧嘩もスマートな彼は、
ただちに 0(ゼロ)を連れて帰るのではなく、
め い い っ ぱ い、
“どんなに一緒に居るのが心地いいか、
同じ時間をすごすことが、幸せで楽しいものである”
か
を
、
彼の気が済むまで、話します。
毎朝、滝を観に川原へ泳ぎに行くとか、
アジサイの座布団の上で、森の地図を眺めるとか、
綿毛の季節に、0(ゼロ)を肩車して行った
思い出話などなど・・・。
そもそも 0(ゼロ)という存在に対する嫉妬心で
仲間はずれにしていた子たちに、
永遠と清らかな思い出話を聞かせ、それが終わると
0(ゼロ)を導いて帰るのです。
この子は、相方の 0(ゼロ)に比べて大きいのですが、
これは、こんな彼でも生きてきた自信の表れでしょう。
10~90 の 2桁で、隣の数に 0(ゼロ)がきている子たちの中で、
30 の 3 程、大切な存在を守るときに発揮する力が
強力な子は、いないのではないでしょうか?
人の年齢として視ている時も、30代の 3 は、
どの数も正当な怒りの場合、容赦ないので
0(ゼロ)をけしかけていた数の子たちは
反論ができません。
特に 30 の 3 が、30~39のどの数よりも賢く、
強い面があるため、通常集団になると
我が強く強情になりやすい 1桁の単体の数にも、
一目置かれる存在なのです。
精神年齢の違い、というと
なんだか可笑しいでしょうが、
人間でも“その人以上のことは出来ない”といわれるように、
数の世界にも、話していても仕方ない。
そもそもわかってもらえない集まり、というのが存在します。
普段、他の数の存在に出遭うことのない彼は
そうした良い記憶を他者に話すことがなく、
0(ゼロ)には本当の意味でわかってもらえず、
わりと孤独を抱えています。
30 の 3 が、理想としている 0(ゼロ)と過ごす幸せを、
他と共有したくても、自分よりも
心の領域を占める孤独率の高い 0(ゼロ)には
ストレートに理解されないのです。
彼は、日頃。
0(ゼロ)と居ることで、とても満たされ幸せであること、
『 僕の隣にいてくれて、ありがとう。 』
と
言いたいのですが、
0(ゼロ)には届きません。
30 の 3 が、
泣き言を言う相手も、喜び合うときに相応しい相手も
彼にとってはパートナーの 0(ゼロ)と決まっているのに、
なかなか・・・、理解されません。
その理由の1つは、0(ゼロ)が純粋すぎるせいです。
外出すると、まったく面識のない他の数から
「おまえ、あっち行けよ」「遊ばないぞ。」と常に言われる
0(ゼロ)にとって、
“自分と一緒に居て楽しい数はいないんだ・・・。”
と
思い知らされる人生の前半を歩むためです。
こうした境遇のせいで、
0(ゼロ)は、元々2つで1つの数として成り立っている 30 の
3 の将来を本気で心配し、
もしも自分じゃなかったら・・と考えてしまうのです。
“自分よりも、いい相手がいる”と、常に思っているのです。
“もし僕が一生のパートナーじゃなかったら、
さん はもっと、楽しめたと思うんだよ” と。
実際、本人に向かって申し立てることも しばしばあります。
ただこの申し出は、言われたほうからしてみれば
相当キツイし、悲しい発言でしょう。
人間で夫婦や恋人同士の場合、
それって一体、どういうこと???と、なると思います。
でも 0(ゼロ)は、実体験から学んだ答えなのです。
いつも守ってくれた相方の 3 が、自分という存在のせいで
他の数から相手にされない 丸い存在であることや、
影で相方を悪く言われることも悲しいのです。
日頃は歯を食いしばって泣かない 0(ゼロ)も
夜、我慢しきれなくなって泣いていると、慰めてくれる優しくて
意外と誠実な 30 の 3 の時間を裂き続けてしまう存在の
自分自身を認めたくないのです。
あるとき0(ゼロ)は、
神さまに断って
崖から谷の底を目指し落ちていきます。
後を追ってきていた 30 の 3 は、すぐに追いかけるのです。
この子たちを含む、数の子たちの話す内容は、
◇にとって永久です。
読者の皆さんには、ご理解いただき感謝いたします。
雨風、オヒサマ、台風にお気をつけて、
いってらっしゃい。
◇