おはようございます。
先月末、楽天のスポットレンタル から
借りた映画の中に、以前から気になっていた
イギリスの児童文学作家:フィリップ・プルマン作の
『ライラの冒険 黄金の羅針盤』 を観賞しました。
この作品は、2008年3月1日に公開され取り、
監督・脚本は クリス・ワイツ
撮影は ヘンリー・ブラハム
です。
あらすじはさておき、
この作品は、◇の視界にとても似ていた映画でした。
まず冒頭の光の粒子を追って映像が展開していく
“ダイモン”やお話の説明のシーンです。
この映画で、主人公ライラは、
“常に真実”を教えてくれるという
黄金の羅針盤を学校長から渡されます。
羅針盤は、時計の文字盤 に数があるかわりに、
小さなサイズの絵が描かれており、
それらを頼りに答えを導きだしていく・・・といったところでした。
羅針盤の指針が指すイラストは3つまでで、
鍋をさすと、煮詰める=考える、
というように、
子供でも考えられるような
ヒントになっているみたいでした。
指針が教えてくれる3つのヒントを全て足すと、
光の粒子の中に“真実”の映像が視えて、
ライラに発見を与えていました。
◇が、彼ら≪数・アルファベット・音符の子たち≫と、
逢い対話している ときも、同じことが起こっています。
特に、人様のアルファベットと数を呼び出しているときに、
力の強い子の場合は、起きます。
そんなに力が強くない子たちは、普段どおり
たまに、次々に“自分は****で、***に居た”と、
何十と連なる映像フィルムをフルスクリーンで、
◇に送りつけてくる子たちもいます。
そういう力を持った子たちに出会うと、
黄金色の粒子の中へ◇を招いてくれたり、
青緑色のジャングルの中へ連れ込まれたり、
宇宙の渦巻き模様ををかたどった、
砂の大地を歩かせてくれたり・・・・、
◇は今の視界と生活を楽しんでいます。
◇にとっては、自分の視界も皆さんの視界も、
同じ、現実に起きていることだからです。
※映画と関係ありませんが、
地震後から、呼び出している方の子たちが、
相当、歴史的描写が鋭く、人間関係も細かいので
とてつもなく興味深いのです。
◇の場合は羅針盤を持っていませんが、
紙と鉛筆さえあればアルファベットや数、それ以外のものに
特に気にせずとも
波長というか磁場を合わせることが出来ます。
そのため、厄介な相手に遭遇することはあんまりないし、
通り過ぎる機会があっても、まず。
向こうが◇(しかく)に気を留めないので
(お互いのエネルギー=波長が違うため)、
スルーすることが出来ます。
映画の中で、うつくしいし、実際起きているのになあ・・・と、
うっとりした場面は、
若い魔女が海上を群れを成して、飛び交うシーンや、
戦ったり、人のように会話したりしていました。
魔女の描写は、
学生の頃『イギリスの詩と絵画』という講義で、
一隻の船を、首から下が鳥獣のセイレーン達が
群がっている絵を思い出しました。
このときはさすがに、
この人(作者)どっちなんだろう?
と、
疑問を抱きましたが、
何かを突き止めようとしたとき、
光の粒子が映像を送ってくれることを踏まえると、
あるところまでは視えている人で、
ある境界から先は、作っているのかもしれない。
と、
シンプルな答えが出ました。
数年後。◇も必ず10代の頃書き溜めてきた
小説(ノンフィクション)を
出版する日がくるのでしょう。
とんとん拍子には進まない物事でも、
小説の後は、短編ムービーなり、映画なり、
お願いしたい監督さんが数名いらっしゃるので、
ご健在であられると、良いなあ。
このような映画を、子供向けだと感じたり、作り話に限界がある、
と、
思われる方もいるでしょう。
いいのです。視界の違いです。
それでも◇はね、
あれもこれもそれも似ているなあ。
って感じると、うれしかったのです。
ライラの冒険で書かれていたスピリチュアル体験の全てが、
◇の視界でも起こっているという話ではありません。
普段、映画は“忍耐と持久である”と考えている◇にとって
この作品は、すんなり、
あっさり、
ものの見事に、小説の世界へ入らせました。
◇は すっかり、リラックスしていました。
“あぁ、この方も・・・視えるんだ。”と思いました。
◇のような視界を、映画にしてしまえたり、小説として世に出せたり、
映像にして人々に伝えられたら、
いつのころか、
叶う日がくるといいなあ。
日々、希望を胸に。現実的な行動を!
“いってらっしゃい”
◇