こんにちは。



 【 おと か・・・。ひかり か・・・。


タイトルの“。”、ハテナの意味で置いてみました。

ハテナを“?”にしなかったのは、

  ひらがな に合わせて置くには、落ち着きがなかったからです。



    今◇は、親友の勧めで

        CELTIC WOMAN という


  アイルランドの5~6人 の女性ボーカリスト

コーラスグループが発する音色が気に入っており、

              たまに、

You tubeで

      観聴きします。



  Celtic Woman New Journey- Intro+The Sky & the Dawn & the Sun


  Siuil A Run - Lisa Kelly and Orla Fallon



カーソルを合わせてクリックすると、新しいサイトが開きます。

ご覧になってみてください。

できれば、ヘッドホンがあるとよいですね。







               ◇は、

       巨大な音響機器・機械がないと

  その人達を表せない環境や公共施設が苦手です。



空間に罅をつくっていく、

        破戒音で括弧されたような敷地に詰められて、


  「 どうして

       あなたを

          精密に表現できるのでしょうか?」

                 

                        と

                 強い疑問を抱いて生きています



 
彼女達ほど、ハッキリした 無か有か。 音か光か。

             魂の、あるいは細胞の 叫びか喜びか。

   

          私達の知っている 人間の“声”ではない。


                人の歌声は、こんなにも美しいのだろうか。




人でなかったら、一体なんだ。



  人々が創りだした幻想か、

        大自然からやってきた 人の姿をしたミューズか。


     


      ◇は、彼女たち

         ひとりひとりの 声は、

            元々備わっていた才能にほかならず、



それを、宇宙や万物といったものへの考究と攻究 による

    自分達の強みに磨きをかける

         秤しえない努力の歳月によって、


 

  自然界のあらゆるものが

              統合していった賜物である気がします。



 ◇のような人間からすると、彼女たちは

   自然界に生きる人たちで、人間界の人たちではありません。





※この文章が適切な言葉かどうか・・・。

       失礼がなければよいのですが。


  こう書かずに居られないのは、CELTIC WOMAN について、


 言葉や文章、音声や動画といった

   素人が動ける段階で表現したところで、

          そのやり方は間違っていると思うのです。

 

               
   どんなにアンドロイドだの、遺伝子に頼ったとしても、

          機械では追いつけません。



もっとも

 電子機械には、それぞれに良さはあります。

決して、◇は世に生み出されてくる

                  新たな存在を否定したいのではなく、


 心を持ち、

    生きている生物。生きている植物。生きている動物。

      生きている昆虫。生きている人間。


   あげたらキリがありません。とにかく、上にあげた 

          すべての生命が          

               発する能力を、

紡ぎとることも、妨げることも、 知ってしまったら、聴いてしまったら

       確かにそこに在る、目の前に居る。

                 という

 確固たる事実を、体感してしまったら、人間嘘をつけなくなるものです。

    自分を騙す“うそ”を、いつまで心の引き出しに閉まっておくつもりですか?

       今のは 人の姿をした妖精の声だったんだ。

    普段は森に住んでいて、人間ではないのだ。

                  なら何故、音楽番組に出てくるのでしょうか。

        人々がソーシャルや経済に疲弊し、

          孤立化していっているから、励ましに慰めに恵みを与えに、  

              森から出てきてくれたのでしょうか。  

                   そんな妖精はいません。



                 存在 を 認識してしまったら、

                     話をしてみたくなってしまいます。



                         ◇の家の古い階段に住んでいる

                      ある郵便屋さんのことや、

                 幼少の頃、祖父の書斎で話しかけてみた

               光の人や、現在も付き合いのある

         

       ≪数・アルファベット・音符≫たちのことを、


“見・視なかったことにしよう”は、

自分の瞳、自分の心、自分の陣地に嘘をつくこと。

真実がそこに在るのに、それを背けること。


最初のうちは、多少主張が強いかもしれません。

でも、コミニュケーションできるようになって

信頼関係を築けるようになったら、

一生のパートナーです。


◇の話す日常は、

非常にコアな世界です。


たまにで良いのです。

日常の喧騒を一旦リセットし、閑静のもと

ご自分の数やアルファベットの子たちを呼び出し、

感謝し、話を聞いてみてあげることも大切な時間です。



最も、考究せずとも実体験があり

◇の視界を熟知している方々とも、いつか 

交流の場になればいいなとの思いは少なからずあります。
 

読者の皆さんにも、もっともっと

 ≪数・アルファベット・音符≫は存在していること。

あなたがたの周りで、いつも気づかれるのを待っていること。

人間との絆を、欲していること。


根本的なところを、

  ふかく知っていただきたい。



 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


“視抜く目”を 鍛えると、

   すばらしい様々な境遇に自分のスペースを連れて行くことや、

     良質で硬派なエネルギーに

               恍惚に思ってもらえるような、

          人物に成長していくことも可能でしょう。


◇は、自然界に生きる光波や、

  エネルギーそのものに愛されて、本来私達のところに来てくれる筈の

   1つずつの光が、その人の登場によって、



      すべて彼女のところへ向かってしまう人を、

                          数名知っています。

次、手紙を書くとしたら、◇は間違いなくその方に手渡しできる状況で

さりげなくお渡しするのでしょう。
      そうしたら、ここ前後の5行分の文章は消えるでしょう。



昨年は、 “数枚の新緑の葉”が舞っていた方に、

手紙をお送りしました。


どうかお二方ともお元気で

おられることを心から祈っております。