こんにちは。

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 早朝から◇の Blog にお越しいただき、ありがとうございます。


2月に入りました。

 立春も近づき、みなさまいかがおすごしでしょうか?

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そろそろ

  さむい・さむい 2月にもってこいの、≪音符の話≫をする季節です。


人間の世界には春夏秋冬がありますが、

 音符たちがいる、楽譜の世界は、いてつく銀板の空間のため、

   基本的に極寒であります。

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    0 0      ≪楽譜の中の音符たち≫

        幼稚園や小学校では、かならず音楽の授業があり

            人間の子供たちは 履修することになります。


 楽譜の中には、数の世界と同様。秩序とある程度の規制が設けられており、

その世界の住人である音符たちには、数やアルファベットの子たちほど、

      強い意志や、感情は維持していないように思われます。


気づいていないのか、そういう類のものは、

      自分達の世界では必要ないのか・・・・。

                  ゆったりゆったりした動きです。

◇には、

  五線の1本1本は極凍のあまり

               黒色に光った状態で視えています。

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    音符や記号たちは、湯気を立たせながら

            決められたポジションへすすみます。


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通常は、何も乗っていない道です。

  乗ることを許されていないのか、音っ子一つ、姿を現しません。

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数やアルファベットの子たちのように、

 人間に直接関わるようなデータにされていない場合が多いので、


  彼ら≪数・アルファベット≫ほど、

   “自分のついている人間”とか“自分の大好きな  ちゃん さんという


 近しい気持ちは、抱かないような ケースをもつ音符たちが

   非常に多いです。

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どこかで、切り離して考えているのかもしれません。

 『自分たち音符と、日常的に話が出来たり、

  たくさんたくさん呼んでくれたり、たまにケシゴムで消されても

  “戻ってきていいよ”といわれて、登場させてくれたり、

  いつも自分たちのことを考えてくれている 最愛の人間は、


         “決められた人達である” という概念を


なんとなく知っているのでしょう。


 数やアルファベットの子たちも、一つ前の世代から

   譲り受けている概念なり思想なり、志などがありますが、


音符たちの場合は、

 五線を書く人間に対して、ある程度願いを持っています。


自分たちのことを呼び出し、

 お互い生きる世界について相談をし合い、じゃれ合ってみたり、

 触れ合っていくうちに、

     

自分たちについて人間が求めている見解や、

 知っていると思い込んでいる誤った見方(人間の世界では正しくても)を、

 改善してくれること。

          

    願いつづけています。


音符の場合は、決してそれら(本音)を 口にせず、

数の子たち、アルファベットたち と同じように、


 すべての人間には、自分たちと同等に あるもの が、

全力で全開になっていることを前提に、話を突き詰めていきます。


  その あるもの に関して、説得を試みても

聞く耳を持つ子は いまのところ いません。


       ◇としては、あまりに悲痛に

           “自分は一生このままなんだ”


 “だいすきな大好きな人間に、気づいてもらえないままで、

                 この中(楽譜)で待っていないといけないんだ。”


     “他の音符たちが言っていたことは本当だったんだ・・・・。”

                 泣き叫ぶので、


慰めと励ましのつもりで

 アドバイスをするのですが、 あるもの の事実にふれた瞬間、

   ものすごい勢いで否定してきます。


きっと
 日常的に意思や感情が強くない一方、

   たいせつにしている部分を ナイガシロにされているような

         気になるのでしょう。


   彼らにとっては、頑として信じたい世界ですから。

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やれやれです。

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P,S それでは みなさま、よい いちにちを。

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