こんにちは。



今の季節の話ではないのですが、

今の今まで、◇は小学校低学年の頃、

我が家に招かれていたお客様のことを思い出していました。


彼女は英語圏の方でした。

とても格式のある、専門的なお仕事をされていらし方だと記憶しています。

お客様がいらしているときは、子供は入ってはいけないドアを開け、

隠れながら、話し方だけを聞きました。


なんて、急いだ英語を話す方なんだろう・・・。

外見とちがいすぎる・・・、なんでだろう。

どうしてそんなに遠くまで飛ばすのだろう。


◇は子供ながらに、

いつか自分も英語を(向かい合って)習うようになったら、

     気をつけなければいけないなぁ。と、

部屋のあちこちを目で追いかけながら、ヒヤヒヤしたものです。



直接お目にかかった事はないけれど、今年も寒い寒いクリスマス、

どうかお幸せだといいなぁ。


そう思い返していたら、懐かしくなってきたので、

  どんな印象(映像)だったのか、 詳しく書いておこうかと思います。




※子供だった◇は、

   もうお帰りになられる彼女を、遠くから見たので、

     外見に関してはうるおぼえです。


彼女は金髪で、誰かと一緒にいらしていました。

話していた言語は英語でした。

今から16~18年位前の、7月だったでしょうか。

涼しい夏でした。


まだ2階のベランダに、

小さなフェニックスの鉢植えがあったときの我が家です。

黒白の猫と三毛、虎模様の猫もいました。


   なつかしいです。


小学生低学年だった◇は、

初めて、口元から 火の弓矢を放つ女性 を視ました。

わが目を疑いました。


いつも、CDやカセットデッキ、プリントやBOOK、パズルなど、

  誰かが入れた声や、平面として山積みにされていたものではなく、


     目の前で動いており、意思を持ち生きている英語とは、


あまり関わる機会がありませんでしたので、

  大変驚きました。


彼女が喋っているときは、

  速度の速い火山灰のような粉の塊が、方々に

                     飛んで行くのが視えていました。

 美しい火の弓矢は、落ちる寸前でアルファベットに変わりました。



子供だった◇には、まだ。

  立体としての距離が、近くなかったアルファベットたちを

       一度にまとまって受け止めることが出来ませんでした。


言語に関係なく、

  大人の会話は、子供だったときの◇からすると

            文字を急がせすぎた話し方でありました。


それは、

 聞き取るのに時間がかかるのではなく、

 部屋のあちこちに落ちていく、文字たちを一つずつ拾っていく作業でした。

                    一枚一枚カードを集めていくようなものです。


  ◇の場合、聞くよりも、音よりも先に、

    映像として受け取ってしまういますから、


     まず、

      文字を拾っていく探していく

     ことをしていかなければなりません。


  見つからない子も沢山いるでしょうから、時間がかかります。


その工程を順番どおりにしなければ、文章は成り立たないため、

耳が先か目が先か、どうやって生きていくべきだろう。


こんなこと、学校では絶対にいえない。

誰にも話せない。でも、誰かに聞いてほしい。

◇の目って本当におかしいのかなぁ。

作り話なんかじゃ、無いのに。と、悩み続けました。



その後も、

家にお客様がいらっしゃって、2階の部屋まで響く、

大人の会話に耳を傾けて、よく一人で遊んでいました。

あんまり、たのしそうなので、こっそりドアを開けて

忍び足で部屋の近くまでいったことも何度かありました。


英語を話している方、フランス語を話している方、

ドイツ語を話してみる方、それぞれいらっしゃいます。

◇は不思議でした。

みんなは、こわくないのかなぁ。


もしも、早口で話す外国の方がいらしたら、

どうやって かわすのかな。

失礼がないように、って、どう動くのかなぁ。


重たい弾くドイツ語・・・、口の中に風の通り道が

               何十も行きかっている、

 魔法のような、言語。

   洞窟みたい。


人によっては、透き通った広い湖がある。

  同じ人間とは思えない。





いくら視えているからといって、それを先に。

いつもいつも言うクセがついてしまったまま、

大人になれたらいいけれど、聞いてくれる人はいないだろうなぁ。と

思っていました。


そのうち◇は、大好きだった算数の勉強のし過ぎで

目が悪くなったので、メガネを使うようになりました。


鼻に負荷がかかる、よく見えるメガネは苦手だったため、

毎日人参を食べるようにして、自分の視力は回復すると、

信じて生活したら、新しい瞳に変わったらいいなぁ。

と、熱く考えていました。


  その瞳は、色々なものが見えない

      “普通の人と同じ瞳”。


おなじものが見れて、おなじものを共有できて、

  美しいものを美しい。と言い合える、




 “みんなが持っている、見えている世界と、


         同じものを見ることができる瞳”。


          が、

  

       ほしかった。



自分の目も、そう普通に戻っていくなら、

少しでも同級生と心を通わすことができたかなぁ。

   と、

  10代中。何をしているときでも考えていました。


もし自分が普通の人間だったら、

         ともだちにも恵まれただろうし、

   紙の中から出てくることのない音符や、

   机の上を走り回ることのない数や、

   記号やグラフを学校で習っても、

   回転軸のように動いていかずにいたかもしれない。

   勉強として、楽しかったかもしれない。


3つか4つ年下の、下級生の、ある女の子に挨拶される度に、

イギリス王室ご用達の、高価なショートケーキから

「おはようございます。」と今日は2回も言われた。

なんて、日記に書いたりもしないのかなぁ。

              と 思い返すことも、

毎朝7時13分ごろ、登校中に真後ろからやっていらっしゃる

世界史の先生の、後ろに、NYシティが視えたり、


光を浴びる時間中、木々が話し合っている会に

      参加することもないのかなぁ。


1人ですごす場面がきても、光は味方になってくれるのに、

普通の人には、気づきもないのかなぁ。




10代中、そうなったら今から変われるんじゃないかな。

と、期待を抱きましたが、


   とうとう 叶わないまま

            生き抜いてきてしまいました。




いつしか


 学生生活から開放された◇の周囲には、

   制限する人々が忽然と姿を消しはじめました。


 すばらしい本質や背景をもった方々が、

   ◇の人生にやっていらっしゃるようになりました。

     風向きは大きく変わり、長いこと日陰だった土地に

 

光来が引っ越してきました。


古い垣根はとっぱられ、

   ≪視えるものが多すぎる。どうしよう≫という◇に、


叔母が 『 blog に書いていったらいいわよ。』 と

提案してくれました。


7月から、毎月すっきりした生活を送ってきました。


溜め込まなくなりました。



  Blog があってよかったです。