こんにちは。





今まで、話そうかどうか 迷っていた話があります。


( しかく ) の心のうちですので、

お付き合いなさりたくない方は 飛ばしてください。


人間、人が思うほど 

   順風満帆で生きていける人なんて いないのです。





◇はよく、『何不自由なく育ってきたように見える』と

言われます。

   子供の頃からそういわれるので、諦めていますが。



     ◇にとって、一番 許せない言葉です。




人は人に夢を抱きます。

自分より、スレていないであろう 誰かに 出会ったとき、


   この人は、(何の努力もせずに) 今まで平和に生きてきたはずだ。

   周りの人に 愛されて・愛されつくして 生きてきたはずだ。


   この人の周りには、理解力のある 友人がいたはずだ。

   良い仲間がいたであろう。


   それは、それは、満たされた時間だったろうな。

   だから、こんなにも 穏やかなんだ。

   人に対して、疑わず、優しいのだ。


   人に、何かの標的にされたり、抑圧されたこともなさそうだ。

   あるわけがない。この子は苦労知らずのはずだ


   自分とは違う。


   自分のしてきた 大変な経験とは、違う。 ということが、


   咽喉まで、でかかっているのだと思います。




それは、

 あなた(自分)よりも、人が、創造絶する、

 壮絶な人間関係を経、辛い経験をしてきたかもしれない人を――、


 人間を信じたくても、到底 信じられない中で

 必死で生きてきた・生きようとしてきた人達のことを――、


 上から見ているわけです。



 下から見上げているかのように、装い。

 実は、見下している言い方・見方です。



それもこれも自分自身の過去を 肯定化するために、です。



 だから世間知らずなんだ。

      と、  納得したいのです。

          自分に言い聞かせたいのです。

          最もな理由を見出して、とって付けたいのです。

 


本来ならば、今ある状態の 他人と比べず、

自分を肯定化するなら、自分の過去だけを踏み台にして、振り返らず、

未来の自分に 現在の想いを、 情熱を、 投球すべきです。


にもかかわらず、

人間の邪悪さに恐怖し、闘魂し続けてきた結果、

出来上がった状態の (非常に澄んで見える) その人を、


“自分とは違う。

  なぜならば、こんなに穏やか。優しい。知的。明るい・・・・”


などと、今のあなた もしくは、過去のあなた には、

なかった ものを 次々と頭の中に 並べ立て、

自分を肯定化していくのは、いかがなものでしょうか。



     いい加減、やめてもらいたいです。


“自分は、あの経験があってこそ 今の自分があるのだ。”

“自分は逞しく生きている・生きてきた。”



        そこまでは、いいです。大いに結構。

     あなたの“ポジティブ”という ガソリン を点火してください。

 

                  火力は中火位が良いです。

        



“だから、アイツとは違う。”

“あの人とは違う。”


            ちょっと待ってください。

            それは、必要のない 文句です。





実際、大人も子供も、

こういった使い回しを 悪用しすぎの昨今ですが、

それは違います。

『僕・私よりも、辛い経験をしてきた 人はいないはずです。』

そんな事あるわけないでしょう。

だって、あなたは 宇宙には存在しません。

地球に何億人という人間が生きていて、

その中の1人があなたです。



だいたい、“ ~よりも”の主語が、

自分を当てはめてしまっている所が 幼稚です。

   残念すぎることに、多くの人に 共通した 概念ですが。

あなた以外に、あなたという人は存在し得ないのですから、

あなたがした経験は 残念ながら、あなただけのものです。


   今後も変わる事はありません。


『僕・私よりも、辛い経験をしてきた 人はいないはず。』

 という考え方からは 何も生まれないし、

 誰も助けられない。


なぜなら、その発想がある・発想に繋がっている要因は、

他の人々を、見下しているから。


自分よりも すさまじい過酷な過去が あったとしたら、

自分が過去をバネに 頑張り続けることが出来ないから。


他人の努力を認めずに、たたける所はたたいて、見下したいから。



人の心理は、そういう風にできているのです。

少なくとも この国は。










さぁ そろそろ 本題です。


  その前に、




わざわざ、言うべきことだとは思いませんが、

皆さんからしてみて、いかがでしょうか?





◇が、上記した

『人が 無理に着せ掛けようとする ような

      人生を送ってきた人物だと 思いますか?』


       ◆ ◆  

                


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                      ◆   ◆


   ◇は 予知能力霊能力を 持っていません。



   タイムトラベラーの人のように、

      過去の自分を 助けに行くことはできないし、

            有利な行動をとらせることもできません。



     ただ、自分レベルの強烈なエネルギーをもって、

   未来に訴えかけながら、生きてきました。


   数年前、3年前。5年前。10年前・・・・、様々な場面で


  歯を食いしばってきた◇は 連日、



 未来の自分に向かって、

   “今よりも、もっと。当時の◇でも創造外に幸せになっている

         未来の自分に”訴えかけてきました。



 「大丈夫、このままでは終わらない。」と、

                  当時の自分に言い聞かせ、


 「人が創造し得ないくらい、

  未来のあなたには“幸せ”になっていてもらわないと、困る。」 と、



学校の中で、人気のない所へ行っては、

              空に向かって立ち、一点を見つめ続けました。




     不思議なことに、こういう日は大体、

           曇り晴れで、


   見渡す限り、生徒も教師も歩いていないのに、

   誰かに 見られている意識がありました。



       ◇が通っていた学校は、生徒の治労自治を重んじており、

         朝から晩まで、人の話を聞いたり、よく掃除をする学校でした。




◇は本当にクラス(教室の中)にいるのが、好きではありませんでした。



同級生からは、幾つになっても

    控えめで・静かな生徒と思われているふしがあり、

          出来るだけ 目立たせない風潮がありました。             誰だってそうだとは思いますが。そういった       ◇自身を制限させるような 悪質なレッテルが いくつになっても 大嫌いでした。


◇は、実際 控えめで大人しいかと言うと、

   必ずしも そうではないし、全体の1部にしかすぎません。


◇は活発で、積極的だし行動的で、すなおで

           非常に明るい性格です。本来は。


ところが制限されすぎると、

  消極的にならざるにはいられなくなり、


◇が自覚している性格と、他人が想いたい ゆるい自分との間で、

       終わることのない葛藤がありました。


多感期の同年代に混じり、様々な混沌とした感情が行きかう中に

何時間も身をおき続けること・生活していかなければならないことが、

痛みだったり、苦しみのように感じながら 毎日を耐え続けてきました。



でも、掃除の時間、外に出て体を動かし、

         五感を使って働く事は本当に好きなことでした。



     木々や草花、広い面積の芝生は、◇にとって、

最高の味方でした。



いつも100年も前から そこに存在していたと

      言われている 木や、


   空に向かって聳え立つ松の木々たちは、

どんなに遅くまで、学校の中で仕事をしていたり、

行事のために取り組んでいることがあって、

帰宅が遅れても、



  いつも、どんなときでも

         ◇に対して、やさしかった。



◇は出来れば、良質な人間達の中にいられたら、

どんなに幸せだったかなあ・・・、と 考えずにはいられないほどの

強い、強い、静電気のようなヒリヒリしたものを感じながら、

日々を送っていました。




あまりに掃除の時間が縮小され、自分の居場所がなくされていくような

悲しさが日増しに強くなっていった ◇は、唯一 

1週間の中で休みだった日曜日に登校して、

持ち場を掃除する日を作りました。


楽しかった。本当に、本当に 良い休日だったのですが、

人がいなくなることのない 学校のため、

見つかることを、少々恐れていました。                 





外にいるときは 本当に開放的でした。

同年代のうわべだけの関係に 付き合わされることもなく、

静かに 割り当てられた場所を 竹箒で掃いているときは、



“人がいない所(空間)って、(澄み渡っていて)いいなあ。”と、

                        体感していました。



高校を出るまで、年々、減っていってしまった 掃除の時間が、

中学に入学したときと同じ分だけ、戻ってこないかなぁ・・・・。と、

薄っすら期待していましたが、結局縮小され続けていきました。



 ◇の性格上、誰かに前もって言ってから、きれいにするとか。

        “働いています”的な行動アピールは、嫌いだったので、


         人が面倒な所を見つけては、今日はあそこを掃こう。

                     とか、

      明日は西側へ行ってみよう とか、プランを立てていました。

   

  掃除をすることが かなり好きだった 10代の ◇は、

  他に悲しいことがあっても、スッキリ出来る時間が来るのを

  1日の中で 誰よりも 楽しみにしていました。   

                                  

                        ◆


          


それでも、あまりにも辛いことがあった日は、

             空を見上げるか、木々の中を見つめました。




       ◇はとにかく一生懸命でした。


                   生活にしても、人を育てることも、掃除にしても。

                   人の中で、疲れやすかったですが、

                   誰かのために取り組んでいるときは、本当に楽しかった。




当時、◇の行いは、人間には分からなくても、

                 (何でそこまで出来るのか。)

              “しょっちゅう、真面目すぎる といわれて育ちました。”


空間から呼ばれている=感謝されているんだ、よかった。

という理解でした。




掃除の時間、人の何十倍も時間を掛けて 

最後まで磨き上げた 空間に、【満足】という≪別れ≫を告げ、

その場を後にするわけですが、



それまで たしかに、 たしかに、不在だったはずななのに、

後日言われるのです。

  【】「あそこキレイにしてくれたの、00でしょ?私見ていました。

    すごいですね。徹底的に、キレイになっていましたよ!」って、


            当然◇はびっくりです。


なんども確認したのに。

わざわざ人気のないポジション(だから汚い。)を選んで、取り組んだ所に限りです。



そういう人が現れると、続いて

    【】「私も見たのよ。土曜日の夕方、掃除してくれたの あなたよね?」

【】「あなたが他の人よりも帰りが遅い理由を知りたくて、見てたわ。有難う。」

                        など、

                         上級生や先生方にも言われます。




◇としては、自分の感情に基づいて行動したわけで、結果は満足なので、

        1人の、個人としての感情は 終わっているわけです。



もちろん、 利用する人が 使いやすければいいなぁ。

       きれいになったら、◇もここへ来よう。


という想いを持って、掃除していましたが、この件に関しては 不思議でなりません。


                            ◆  



◇が考えるに、

   過去。◇は毎日、どんなことをしているときでも、

          未来に向かって、発信し続けていました。



その時体験していた全瞬間の場面を踏み台にして、





    強力な Enelgyを、

               未来に対して、


   

       渾身のパワーを投球し続けてきました。




居るはずのない、人気のない場所を選んで、

感情にしたがい 自分が取り組んで 結果が楽しくなること。


満足できることを探し、

    最後までやりきることを努めてきました。

           ※※ 帰宅しても、なんの やる気も起こせなかったのは、

                      学校で体力・気力・精神力 などを 消耗しきっていたからです。



その時の◇にとって、未来の自分か別の次元を生きている 自分か



 誰が後に評価してくださった方々を 連れてきてくれたのかは知りません。




でも確実に、だれかが、『◇さんの行動を見てください。』

               『見ておいてください。』

               『忘れないでください。◇さんはこういう人です。』 と、


何かを伝えてくれようとして、

連れてきてくれたのだろう という理解をしなおしました。


       ◆


人間、諦めずに生きていると 不思議すぎることが度々あります。


それは直接的な利害といった観点を超えて、

遠い未来 もしくは、全く別の次元の話 だと、いうふうにしか 理解ができません。





通常、人の目には見えないものと される物質や空間は、


    正しく理解するには、時間がかかるか、

        時間をかけても

           中途半端な概念立てで 終わってしまうことが殆どです。


中途半端に終わった人は、一度取り組んだことを悪く言うくせ、

自分の行いをバッシングすることは 少ないです。


こういった長続きしない人間とは、

         本腰を入れて付き合う事はしないのが正解。




時間の無駄だからです。



    ◆     ◆


“真実を見極められる目を養うことは、誰にでも出来ます。”


      と、言われますが、


            実はそうではありません。



誰にでも出来るなら、犯罪を防げるどころか、

そもそも罪を犯す人は出てきませんし、


巻き込まれる人もいないでしょう。





“真実を見極められる人”は、自分の基本軸がしっかりしている人です。

誰の後ろにも付かず、正々堂々 1人で勝負すればいいのです。

     「------ 10代の頃の、◇のように------ 」

グループで行動しなければ、自分の意見も言えない 身勝手な人間は

弱虫なのではなくて、卑怯なだけです。




   ◆               ◆







 ◆          ◆






      ◆




幸い、      もう。

◇の周りには、そういう人間はいません。


これからも、同じ空間を生きることはない。

       「声を聞くこともない。」      「存在を感じることもない。」


        ◇は幸せになってきています。


過去の◇との約束を、ようやく守れるようになってきました。

それでも、まだ。まだまだ、です。


過去の自分(◇)が 願い続けた 訴えつづけてくれた

未来の自分(◇)の 幸せは、この程度のものではなかった。

だからもっと、向上させなければなりません。


     願い続けてきて、 “よかった”です。




人がなんと言っても、 諦めないことです。


夢は本当に、叶いますから。



◇は いくつも、いくつも、叶いました。


  それらは、普通の人たちにとっては

         “夢”にするほどのものではなかったでしょう。


  ただ◇は、

      幼い頃からずううううっと、ヒリヒリしていた、

             あの感覚を 満たすことが出来ました。


  他の人には、まるで前もって 

       用意されていたかのように、 その存在がいて、それが当たり前で。



◇には、全く持って 築けない・到底築くことの出来ない関係なんだなぁ。

       ということを、10代の頃の◇は 悲しすぎてわかりたくもなかった。


でも、それでも、本当に 1人ぼっちのまま、人生が進んでいくかと言うと、

そうではないんです。そうではなかったんです。





皆さんも、諦めないことです。


  世の中の人々が、

  自分なりの “幸せ” を見つけて、人の道に反せず

   るく生きていける存在であってほしい。




そして、世界のどこかにいる、

  ◇と同じような能力を持った人々が、

  生き生き出来る日常が訪れることを

  願って止まない毎日です。


 




お付き合いくださり、有難うございました。