こんにちは。
先日、
「今週から、“時計に住んでいる数の子たち” の話を してみようかと思います。」と
お伝えさせていただき、内容についても色々と書き記しました。
その中から、今日は
●時計の針につられて、みんな転ぶ。
数の子たちの多くは、1日のうちに何十周もしてくる秒針(短針)と、
時針(長針)がかなり苦手で、中には恐怖心を抱いている子もいます。
について、お話します。
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まず、時計の文字盤には、通常 1~12 迄の数が並べてあります。
しかし 1日は24時間で、当然 12 を過ぎた時間も存在していますが、
文字盤にわざわざ登場させてあげなかった意味が、◇にはわかりません。
きっと聞いても、理解できないかもしれません。
“0”だっているはずなのに、なんで入れてあげなかったのか
可哀想で仕方ありません。
※でも、数の子たちからすると、当然といえば当然かもしれません。
→ おいおい、お話します。
ですので、そういった疑問をもたれた方々がいらっしゃったとしたら、
◇と一緒に黙っておきましょう。
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文字盤に居る 数の子たちは、全員が全員、長針と短針が目の前にやってきたとき、
人生で最大の緊張感を味わうことになります。
時計が動いている最中、長針と短針が、
数字自体を貫くことはまずないので、
針が数の子たちを刺しているという場面は、
実際は起こりえないことだと思います。
しかし、彼らはいつ、刺し殺されるのか
(針が、 あまりにも鋭く、鋭利な針なため、)
恐れずにはいられないのです。
中でも
1から12まで並ぶ、数たちの中で、もっとも強い緊張を味わうのが 3です。
この子は、本当に、ガチガチ震えていて、顔も真っ青で
見ているこっちまで気持ちが伝わってきます。
確かに、自分達の何十倍もある船にある錨のような物が、
重たい音と共に時計の中を動いてきて、自分に向けられたら・・・と思うと、
◇も逃げたくなります。
いつ、指針を管理しているねじが緩んで、自分に飛んでくるかも分からない。
外れた針が、別のところへ落ちていってしまったら・・・・、
他の数にぶつかってしまったら・・・、
時計のガラスを突っ切って、出て行ってしまったら・・・、と。
◇だって、焦せりだしてします。
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数の子たちの極度の緊張や焦りからくる恐怖心、ものすごく、分かります。
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他の数は、やっと開放されたことに安心しきっている中、
今度は、自分(次の数)と、文字盤で最も恐れられている 長針との
長い 長い 長い 3分間が始まります。
※短針にいたっては、別の日にお話しします。
それでも、“時計に入りたい数の子”や、
“時計にいられることが誇りだ”と主張する数が、世の中にあふれているのも
以前は不思議でした。
※続きは、また別の日にしますね。
その世界に強い憧れを持ちながら、実際選ばれたら極度の緊張を味わい、
1時間を過ごす・・・。
時計に入ったことのない 数の子には、理解も出来ないだろうし、
そんな現実が待っていたなんて・・・・!です。
ローテーション制の文字盤で、1時間しか いられない という約束を、
最初は、どの数も嘆きます。
「憧れの“どこどこ(ブランド名)”の文字盤には入れたのに、たった1時間?!」って。
そして暫くの間、
次に文字盤に入ることに決まっている 1-12 の数同士は沸くのです。
“やった、よろしくね。”って。
1 の笑顔は最高に明るく、良いエネルギーに満ちているんです。
“お互いやりとげましょう。”って。
様々な性格を持つ、数同士が互いに励ましあっているという、
文字盤に入るまでは、あたたかい空間です。
数同士は、打ち解け合いながら、前に自分がいた場所を言う子もいます。
(※例えば 「電話のボタンだった。」とか、「図版のページをやっていた。」とか、
みんな結構、得意気に言います。)
↓
↓ ≪ページの数について、五行だけ 話を脱線します。
↓ ◇個人的には、3桁の数の子の自慢話を聞くのだけは、ごめんこうむります。
↓ 話が長いし、トリオと言うことで一番目立つのは、中央の私よ。とか、
↓ ページを捲られて一番目立つ=役に立つのは左にいる僕だ。とか、
↓ それが始まると色々と大変だからです。≫
↓
また、
誰にも何も言わずに、1人で期待と希望を胸に、黙る子もいます。
しかし、
前の時間の59分59秒!と同時に、心待ちにしていた世界に機械的に
足元から押し上げられると、物の見方や感じ方が一変します。
正直、1 から 12 の数の子たち全員が、驚愕します。
それは、この世に数として生まれた子たちは、ほぼ全員、
“人生の中で一度は、時計の数を経験したいと!”と
強く思い、願い続けながら生きてきています。
※しかし中には、それだけで人生が終わる子もいるみたいです。
また、そんなに時計に固執せずに、
「何かのデータの中を流れてみたい。」 とか、
「順位になって、張り出されたい。」 とか、
「“値段”になって、後ろに“0”を沢山、並ばせてみたい。」とか、
確かに、別の夢を持った数の子も、稀にいます。
そういう数の子たちからすると、
「人生の最大の目的は、時計の数として、役立つこと。」 だとか、
「時計の文字盤に入ることが出来るような、優秀な数になること!」とか言っている、
数の子たちの中では、わりと一般的な発言をする子たちのことを
全く共感することが出来ません。
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おそらく、
自分の目標は明確なものなんだけれど、
他の目標を持った数に対しての理解という点では
なんとなく欠けている・・・・のでしょう。
それは、
他の数のことに全く、関心がもてない。 というわけ でもないようですし、
他の目標について、考えたこともない というのとも 違うようです。
皆さんもお気づきのように、
数の子たちは、“なにかが欠如・欠落”しています。
でも それも、個性だと思います。
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さて、
数の子たちが、願い続けていた・信じ続けていた憧れの場所は、
彼らの期待していたものと、どう違ったのでしょう?
つづきは次回。
◇