そうそう、
Twitterに独り言機能望むより
これがあったんでしたね。

この土日に好きすぎる長野へ旅行。
大きい長野の中でも、
小さなときから毎年行っている霧ヶ峰へ久々。

といっても
まずは松本でアップしてほぐしながら
車借りて
一路ビーナスラインを抜け
霧ヶ峰は沢渡に行きました。

名の通り、激しい霧に襲われ
正直生きた心地のしない
肩の凝るドライブでしたが
なんとか馴染みの山小屋に到着。

産まれてから(産まれる前から?)
当時家族やその仲間の方等と来ていた場所なので
完全に寛いだ時間のなかで
ふと、祖母の訃報を聞くことに。

と、え?唐突にかもですが
独り言なのでここはスルー。

たぶんほぼ25年以上会ってはいない、
ブラジルに住む父方の祖母。

父方とそもそもいろいろもろもろで
縁が切れてるので
祖母がそして、父という人が
どうしてるのかなんて知ることもなかったものの
まさか「亡くなっている」、
それも「亡くなったのよね、昨年」
という過ぎた事実を知るのは
どこか不思議で、
だからとリアクションも出来ず
でも泣くこともなく
ふーんと片付けるでもない
そんな変な感覚でした。

いや、その感覚の中にいます。
ナウです、つまり。
もちろん、
何故知らせてくれなかったのか 
という文句は生まれてません。

知る権利もないし
知りたいか、知りたかったのか?
とかも自身も曖昧。

ただなんとなく
わたしが幼い頃知る彼等は
ただ根拠もなく
「死なない」と思っていただけに
驚いたのかもしれないです。
勝手な言い方ですね。

たぶん、興味無かったくせに‥。

とするならば、
その父とする人に
同じような状況が訪れるとき、
どうなるのでしょうかね。

いろんな軸があるんですが

知りたいのか、知りたくないのか
それとも
そうなる前に
会っとくほうがいいのか会ってどうなるのか。

会ってどうする。
会いたくない。
でも
「亡くなったらしい」の過去形報告はどうなのか。
報告すらくるのか、
欲しいのか、要らないのか。

と、
考えても仕方ないので
本日は山を思い出しながら寝ます。

とりあえず
このニュースが近隣、
周りを騒がしてるようで
騒がしさ用に右耳だけアクティブにさせて
寝ます。

あけまして
こににちは。

最近わたしの中で流行っている
時間旅行シラー

約1年ぶりに、
ブログを開いてみました。

な、なにも変わってないわたし‥‥ドクロドクロ

誰のせいとか、なんかのせいとかじゃなくて
ほんとしっかりせえよ私。ですねグー


兎角まずは目の前のことを。
落ち着いたら「今年実現、10のこと」を書きたいなとおもいますパー

うぉー!!
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給料日の華木を
わいわい会社の先輩方と過ごし

タクシー乗りながら、ふと
目的地変更!と運転手に叫び、久々に地元へ。

布団を敷いて起きて待っててくれる叔母と
朝起きて、昔と変わらず新聞に挟まれたチラシ達を渡してくれる叔父。

ひとしきり叶姉妹の悪口を聞かされつつ
劇団四季のチケット欲しいなぁーとねだられつつ
すぐさま、帰阪へ。

一路、羽田を目指すリムジンバスから見える
地元の風景に
心がモヤモヤ、もやもやしてくるわけですね。

東京にしょっちゅういるのに
地元に帰らなかったり
地元の友達と会わなかったりするのは、

とてつもなくここに帰ってきたくなっちゃうからなわけですよ‥‥。

帰れるわけじゃないのに‥。

はぁ、センチメンタルジャーニーですわ。

ラウンジでビールでも飲むか、
と、それがまたダメ!
あはは。

待ってろ、大阪。
お片づけ日和の春の日。