5歳!ビバッ5歳
カフ5歳!
なり申した(#^.^#) なり申した(#^.^#)
スペシャルディナーをプレゼントしました。
カフが5歳とはいささか信じらません。
頭も小さいし、身体も大きくなってないし、
何より僕に近寄ってきて、すりすりする様は全く変わりません。
誕生日。僕はこれまで正直その日の価値を本当に理解できてなかったように思います。
自身の誕生日も歳を一つ重ねる事だけと認識する日でした。
一つ歳を重ねるこの記念日は家族として深まっていく感じがするんです。これまでより深くです。
もちろん愛情の深度を浅い深いと比較してるわけじゃありません。
ただ、同じ時を過ごし、共に過ごしている今を
より愛でる、愛しむ。
お祝いする事の素晴らしさを実感しとります。
カフおめでとう!
来月はラァさんもお祝いです。
いただきましたプレゼント(#^.^#)
ありがとうございます!
働けど働けどw
働けど働けど猶わが生活・・・
とは、よくできた言葉(歌)だことw。
ちょっと前までそんな事考えてもなかった。
将来があり、未来があり、今の頑張りはそのきたる未来にむけた投資であると信じて疑わなかったからだ。
だからこの働けど~と言葉にだす時は自分を戒める呪文のようなものでそこに石川啄木が歌にこめたような悲観めいた実はない。
しかし残念なことに将来や未来とよんでいた「時」は今かもしれないと考えると焦燥すら感じる。
反面、これまでに働けど働けどと呪文のよにいいきかせてきた投資は決して無駄ではないとも考えられる。今があるから。
働けど働けどw
これまでのように将来や未来にさきのばすか否かは気持ちによる部分が大きい。
僕の将来や未来は今と定めるか、もっと未来にさだめるかww
今はもちっとだけ先に定めよう(#^.^#)と思う。
無理は禁物なのだ。
最近我が家の姫の寝ますポーズのリラックスぶりがやばい。
働けど働けどw
この姿をみるとフッと微笑む
さぁ明日も頑張ろう。
ちなみに啄木の歌は、
はたらけどはたらけど と平仮名で歌われているが
僕のはたらくは働くなのでこちらで表現してます。