私の大切な人たち東日本大震災でみんなは、災害派遣に出ています。毎日、過酷な環境下で頑張っている姿をみると尊敬します。そんな頑張っている隊員がいる一方で私は職場内でセクハラとパワハラを受けた。当事者は、異動もなく何事もなかったように月からも同じところで働いている。私はというと契約期間の満了などと、もっともらしい理由をけられ継続雇用されなかった。あたしだけ継続されなかった。欠勤も遅刻もしなかったし職場の環境整備や、仕事がしやすいように一生懸命、指示された以上の仕事をし、上司にも評価されたのに。仕事を教えてくれた上司もこれからもっと良くしていこうと評価してくれてたのに上層部も、所の上司も、加害者も謝罪しない。国民を守る仕事なのに私の生活は一変した。収入も働く環境も大切な大切なものまで平気で奪った。あたしは負けない。辞めた後、ある本部の職員はこう言ってたそうだやっと辞めさせた奴の保険証返しに行ける辞めさせたんだあたしは許さない。一生懸命、頑張っているほかの隊員さんの足を引っ張るような人たちを。訴訟の準備を始めることにした。あなたたちの仲間は助けてくれたかもしれないけど間違ったことを平気でするあなたたちに自衛官だなんて名乗ってほしくない。あなたたちがしたことは、人として最低の行為なんだから。自分のため、また今後同じことで苦しみ悩む人が出ないようにあたしは闘おうと思う。
仕事はなんと言っても人間関係が一番大事だと思う。だから人と人とのながりができていない会社はどんなに良いアイデアがあっても、資本があってもやはり続かないのだと思う。かて僕は牛角と言う焼肉屋で2年半バイトしていた。もちろんその頃ロックを崇拝し、ひねくれていた僕は働き始めた当初から、その仕事が好きではなかった。もともと接客業自体が好きではなかったのだが友人に誘われて、入ったのがキッカケにすぎなかった。接客業が好きではない僕は、お客に料理を運ぶのも注文をとるのも皿を洗うのも好きではなかった。だから毎回時計をチラチラ見てはあ、まだ5分しかたってねえよなんて呟いていた。でもこの仕事が結果的に2年半も続いたのはなんと言っても仲間に恵まれていたからだと思う。楽しい仲間と一緒に働けるなら、仕事内容なんてなんでもよかったのかもしれない。どんな仕事内容であれ、仲間がよければ地獄の底でも楽しめてしまうのが僕の習性なのかもしれない。おかげで僕は結果、牛角では栄誉なるサボリキングを受賞した。仕事中は仲間としゃべったり、一緒になってサボることに精を出し、最低限しかやらないよう努めるくせに、仕事後の宴会には必ず顔を出し、最後まで残っちゃう。そんなキャラだったと思う。もちろん店長代理を名乗るバイトリーダーからはたびたび叱られた。でも意外とイヤではなかった。すいませんと言ってもっとバレないようにするにはどうしたらいいかクャс香[だった僕はそればかり考えていた。僕が牛角にとって必要な人材だったかはともかくこんな僕が2年半も続いたのは、当時では奇跡に近かった。たまに店長代理に刺激を受けて、誰よりも動くこともあったためムラがあるとも言われた。投手で例えるなら僕は広島にいたミンチー。12勝16負みたいなムラっけたっぷりの男だったのだろう。仕事のできはともかく、ここでの経験は今の僕の理念として生きている。僕は何をするにしても人が動いてくれてナンボだと思っているそして自分のために動いてくれたら感謝の気持ちを忘れてはいけない。人前で激怒するなんて論外。機嫌であたるなんて論外。責任をおしけるなんて言語道断である。もちろんそれは講師だけではなく生徒にたいしてもである。僕が成績を上げたのではなく、生徒が頑張ってくれたから成績は上がった。もちろん自慢したがりなためほら、オレ様の言うとおりやったからできるようになったでしょとは言ってしまうものの、その気持ちは忘れてはならないのだ。よく知り合いから職場の愚痴をたびたび聞かされるが内容の90は人間関係にいてだ。ほとんどの人が人間関係にいて悩んでいる。そう、考えると僕は牛角でバイトをしてラッキーだったんじゃないかと思う。人との関わりは仕事で一番大事なこと。どんなに技術や知識があっても、人間関係が悪かったら長続きしない。そう、心に決めた一日。今日だけはちょっとウエジに優しくしてあげよう。