はい、よくあるifの筆頭格の本能寺の変です。

まず前提条件として明智光秀が謀反を起こさなかった、という設定で話を進めます。

まず当時の日本で織田家に抵抗する勢力で大規模なのは3つ。毛利、長宗我部、上杉の三家です。このうち長宗我部は降伏すると言ってますし何だかんだ光秀が尽力して土佐一国くらいで許されるとして上杉はもう滅びかけ、半年も待たず滅亡するでしょう。

となると残るは毛利家ですが九州より大友、四国より三好と長宗我部、山陰より光秀、そして山陽より信長が大軍を率いて攻め込めば一溜りもなく遅くとも1585年には天下を統一したでしょう。


ここから普段なら大名配置を考えるのですがとても面倒なのでやりません。

ところでこの時、織田家の宿老は何歳でしょう?

まずここから1年で丹羽長秀と滝川一益が死にます。

彼らと同年代の柴田勝家、明智光秀も長くないでしょう。

そうなると残るのは秀吉、そこで繰り上げになるとしたら候補は河尻英孝、池田恒興、蜂屋頼隆、蒲生氏郷、前田利家、佐々成政辺り。

でも河尻秀隆、池田恒興、佐々成政、蜂屋頼隆は死因はともかく近いうちに亡くなります。

さらに言えば信長の側近の堀秀政も長くはありません。

あらら、世界進出どころではありません。

さて秀吉以外の宿老が亡くなると織田政権と地方大名との取次役がかなり減ります。

その全てを秀吉が担うとなれば彼の権力は大いに拡大するでしょう。

そして1590年頃には信長にも体力の限界が訪れ始めぽっくり逝ってしまうでしょう。

となると信忠ひとりで秀吉を抑えられるでしょうか?

仮に安土城が本拠のままなら信忠は岐阜。

つまり西国との関係が取りづらくその代わりとなるのが大坂を支配していた津田信澄と四国司令官の織田信孝でしょう。

2人が秀吉に着くとすれば西国は秀吉の派閥となり信忠はこれに対抗するために東国において大きな力を持つ徳川、北条家を助けを求め天下は2分されしばらく時が経ちます。

しかし1598年に秀吉が亡くなると信忠が仕掛けます。

跡を継いだ織田信孝も津田信澄も短気ですから兵を起こし関ヶ原で……。

と結局歴史は変わんねーと思いますね。