大好きだった、立花ハジメさん。太陽さんのコンサートにはいけなかったけど、その後のライブには行きました。ロボットやTVのモニターを重ねていたのはこういうことを表現したかったからなのですね(^_^)


ギターも下手で、踊りもずば抜けてうまいわけではない、でもかっこよかったということは、感性がずば抜けていて、バランスが取れていたからだと思います。天才的な子どもが大人のどろどろしたものを敏感に感じ取って、表現している。それと似ていたからともいえるのかも。








これは、テクノミュージックの元祖クラフトワークのレコードジャケット


これは太陽さんのコンサートで立花ハジメさんが使った人形


びっくり、クラフトワークの人形と、日本舞踊の人形とのコラボがあったのですね。


当時、流行の最先端を追っていくと、そこにはロボットやテクノがあって、流行を追うのってとても楽しい、でも、これでいいのか、、これは芸術なんだけど、なぜ、自分はこんなものを楽しんでいるのだろう。なにを表現したいのだろう。その答えは、世界の最先端を行って、その先を予測してしまった苦悩だったのか???




そして現在・・・・高齢化社会の日本、病院に助けられ、長生きしている老人のかたが沢山おられます。その中には、体の中に機械を入れておられる方も、、、みていてつらいものがあります。






ちなみに、クラフトワークを詳しく知らない方のために・・・



2013  2.28 3.15 あたりからの音がすごくいい♬


1975


1975  4.57あたりからの音がすごくいい♬


クラフトワークが出演するにいたった経緯(坂本龍一氏のコメントより)より転載させていただきました←--クリック

「「Radioactivity」は、1975年に発表された『Radio-Activity』というアルバムの曲ですけども、1991年に行なわれた、イギリスのセラフィールド、まあ日本の六ヶ所村にある再処理工場とおんなじものがある訳ですけども、それに対する反対の大きなフェスティバルがありまして、そこにクラフトワークも出ています。そのときに、この「Radioactivity」っていう曲を大々的に反原発のメッセージを入れ込んでですね、チェルノブイリやヒロシマ、で、今回の "NO NUKES" では、なんとそこに、フクシマの文字も入ってきましたけども。」

クラフトワーク 放射能 THE MIX 歌詞 と 3D ←--クリック








以下は動画より、まとめ、文字起こしです。


----------------------------★----------------------------


✿もの作ってる人は、みんな超能力者なのね♪


デジタルの先にあるもの、、✿




人間がアナログで、コンピューターがデジタルであるというような、たとえがされることがあるんだけども、実は人間の脳っていうか、人間こそが、究極のデジタルなんじゃなかと、、、

コンピューターとかデジタルの先にあるものは、この●のついた流木その次には人間(デジタルなのはあくまで道具、エイプマンの頭にイメージされるものは、もっとずっと柔らかい)



何できるんだろうか、すぐさー、わかんなくなちゃうんだよね、すぐわかんなくなっちゃう、「特に東京なんか、人をさー、モノとかお金で価値づける、強迫観念って、すごく強いじゃない。」だからさ、そういう中で、忙しい=充実みたいな、そういうところに、僕でさえも、すぐ、行きかけちゃうよね、あれはつらい、ちょうど4年前ぐらい、そうだったの。いろいろ仕事頼まれるからやってるのはいいんだけど、いろいろ頼まれるから、僕も頼まれるとうれしいから、やっちゃうのよね。で、忙しいでしょ。忙しい=充実みたいなところに、僕もいっちゃってて、だけどね、なんかね、ほんとはさっきも言ったけど、なにやりたかったんだろうとか、いろいろ頼まれて、お前いろいろやってるけれど、ほんとは何がしたいんだっていうのと、なにができるんだかもう一度考えてみたほうがいいんじゃないかって、考えたほうがいいって思ったことがあったの、それがちょうど4,5年前で、、、



とにかく作品になることをやろうって始めたのが、今回の・・・・(音楽とデザイン)



5・6年前に太陽さんのアルバム出した時に、ビデオのモニター積み上げて、ショーをやってて、その時にこれはすごく日本的なねショーだっていう、お話をしたら、こんなビデオのモニター積み上げてね、シンセ使って、どこが日本的なショーなんですかって、話があったんだけど、だってさ、「そんなの日本だけだよーほんとにぃー」こんだけチャンネルがいっぱいあって、TVのチャンネルガチャガチャ変えて・・・っていうことを、日頃うちの中でやっる、アイデアみたいなものをさ、僕は、パブリックなものをコンサート会場とかに持ってっただけなわけでさ、それってさ、すっごく日本的なことなわけでさ、僕にとって、日本的ってことはさ、決して、非日常的な日本を持ち出すことじゃなくて、決して着物を着てさ、三味線でさ、音楽を作ることじゃなくて、僕の周りには自然に、ビデオとかパーソナルコンピューターとかあるわけだから、だから、日常的な日本で、なんか新しいことをやりたいわけで・・・





基本的には、1951年東京生まれの、グラフィックデザイナーであり、ミュージシャンだと思ってるのね、だから、このグラフィックデザインと音楽ってのは、自分に与えられた2つの道だと思ってるから、そういう意味ではすごくいろんなことから解放されてて、余分なことを最近考えなくてすむようになったから、ものすごく楽だよね、自分の居場所がわかってるからこそ、自由にどこにでも流れていけるんだよね。だから、いろんなことから、すごく、こう、解放されて、すごく楽になったとか思ったときにね、あ、ひょっとしたら、ひっぴーってこういうことなのかなーと思ってねー思った。


以上
----------------------------★----------------------------