テオティワカンは
紀元前後から栄えて
同時期のローマに匹敵する規模の都市で
何万もの人々でにぎわっていたそうですが
しかし600年頃に何らかの異変があったのか
突然人々は跡形もなく姿を消しました
13世紀にアステカ人がやってきた頃には
すでに廃墟となり草木に深く埋もれていました
アステカ人はこの遺跡を
「神々の集う場」を意味する
「テオティワカン」と名付けて
自分たちの宗教観に合わせて
「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」と呼び、
彼らはここで太陽と月が生まれた思いました
そして遺跡を貫く中央通りを
「死者の大通り」と名付けました
頂上の平らな部分は
神殿があったと考えられています
月のピラミッドが壊れてるのは
意図的に破壊された感じがするけれども
何があったのか解明されてないそうです
テオティワカン人が
どういう目的でピラミッドを作ったのか
何かを祀っていたのなら
どんな神様なのかはわかってなくて
アステカ人による後付けの神様は
太陽のピラミッド のピラミッドは
農業と関係の深いケツァルコアトルや
植物の再生と関係あるシペ・トテックなど
生命に関係して
月のピラミッドは
「死」に関係すると思われていますが
最近の発掘で、
アステカ人の想像が正しかったことが
愛知県立大学の杉山教授と
メキシコ国立人類歴史学研究所の
ルベン・カブレラ・カストロが率いる調査隊が
月のピラミッドから埋葬跡を発見しました
月のピラミッドの埋葬跡には、
胴体から切り離された頭蓋骨や、
異民族の戦士や聖職者の亡骸、
肉食の哺乳類、猛禽類、爬虫類が
いずれも生け贄として
神に捧げられた様子だそうです
生け贄にされたのは
負傷した異民族の捕虜だったようで
後ろ手に縛られて生き埋めにされてました
またピューマ、オオカミ、ワシ、タカ、
フクロウ、ガラガラヘビなど
武力を象徴するような動物を
檻に入れたまま生き埋めにしてたそうです
「人々を為政者の意のままに従わせ、
支配するのに、人身御供は重要な役割を果たした」
と杉山教授は解説しています
この遺跡都市は
「死者の大通り」と呼ばれる
南北に約5キロの道を基点として
かっちりとした碁盤の目状になっているのに
この大通りは正確には南北ではなく
真北からちょうど15.5度東にずれていて
この謎が何年にもわたって学者たちを悩ませ
さまざまな推測を生んできました
よく知られている仮説は、
「死者の大通り」は
太陽が天頂を通る春分と秋分の日に、
太陽が沈む位置と直角に交わるように作られている説
また、「死者の大通り」の西90度の方角は
プレイアデス星団の沈む位置で、
年に2回、4月30日と8月13日に太陽が沈む位置で
ちょうどその真反対に
太陽のピラミッドがそびえているとの説
んー
こっちの説は
ちょっと何を言ってるかわかんない
いずれにしても、
テオティワカンの人たちが
どうしてこのような設計をしたのか
決定的な説明はまだないそうです
マヤの最高神 「ククルカン」 の降臨現象で知られ
春分と秋分の日に、
太陽が西に傾くと蛇の姿をしたククルカンの影が
ピラミッドに現れて
この不思議な現象を 一目みようと
毎年多くの人がつめかけます
日本のテレビの
信じるか信じないかは あなたしだいです
ドーン
、の人が紹介してたやつです
私の友達の家の近くの遺跡で
本当はこちらがブログのメインにするべきなんだけど
もう疲れた
簡単に言うと、
マヤ版ツタンカーメンと言う感じの
王様の宮殿やお墓が
何世紀も草木に隠れてて
探検家が 発見してビックリした遺跡













