こんばんは!廉です。
今回は廉のお父さんについてお話します。
あまりブログに書くことではないのかもしれないけど、廉の大切な人たちには知っていて欲しいことだったので書きます。
6月28日のお昼頃にお父さんが亡くなりました。
3年ぐらい前から肺ガンと診断されていて、1番最初は余命3ヶ月と宣告されました。
肺ガンと診断されてからは仕事ももちろん出来なくなって、抗がん剤の治療も始めたし、入退院も頻繁にしていました。
お父さんは昔から薬が大嫌いで、具合悪い時も薬はほぼ飲まず自力で治したりしてたからか、抗がん剤はとても良く効いて、ガン細胞もどんどん減少していって、完治とまではいかないけど、状態も良くなって余命宣告された日数は余裕で過ぎて行きました。
状態が落ち着いてからは、自宅療養になったから家にずっといるっていう生活が続いてました。
でも、去年あたりからまた状態が悪くなって、病院で診察を受けたら脳にガンが転移してるということで、すぐに治療に。
放射線治療を始めることになったんだけど、脳全体に放射線をあてるということで、正常な脳の部分にも放射線が当たってしまうので、一時期は幻覚症状が酷くて、夜病院を歩き回ったりしていたみたいです。
脳に転移したガンも落ち着いて、また自宅療養になったけど、お父さんは少し動くだけでも息苦しくなるので、ずっと家で寝たきり状態でした。この時点で自力で立ち上がるのはすごく大変そうでした。
で、5月中旬に呼吸困難がよく続くということで、また入院生活に。
この入院生活でもずっと寝たきりだったので、足の筋力も落ちて歩けなくなっていて、肺ガンの治療もしながらリハビリを並行してやってました。
主治医の先生からもう長くはないって聞いてから、お父さんのそばにいたいって思ったので、廉は仕事を辞めて(いろいろ思うところもあったので)、お父さんの介護をすることを決めました。
抗がん剤治療はもう出来ないので、あとは薬で痛みや苦しさを紛らわすしかないと言われていて、もう少し状態が落ち着いたら自宅療養に切り替えましょうって言われていたのが亡くなる一週間前ぐらいの話でした。
家では自力で歩けないので、ヘルパーさんを呼ぶ準備とか、介護用品を買い揃えたりしてて、もうすぐ退院だねってなっていた矢先のことでした。
1番最初に連絡があったのが廉でした。
主治医の先生から危ないかもしれないから来て欲しいと言われて駆けつけて。
病室に入ったらもう意識が朦朧としてて、呼びかけには頷くか首を降る動作しか出来ない状態だった。
少し様子をみてたらどんどん酸素量が減ってきて、慌てて看護師さんが入ってきて、その時はもう呼びかけに反応はまったくしなかった。
で、主治医の先生に呼ばれて、もうもって1時間ぐらいと言われて、病室に戻るとお父さんはほぼ息してなかった。
昨日はまだ会話も出来ていたのに…って、急な変化に動揺しちゃって、何も出来なくて。
看護師さんに手握ってあげて下さいって言われて、それからずっとお父さんの手握ってあげて、声もたくさんかけたのに反応なくて。
どんどん体が冷たくなっていくんだけど、冷たくならないでって思いながらずっと手握ってた。
で、お母さんが仕事から急いでかけつけて、病室着いてから先生が最後の診察をしてくれて、本当にお父さんが亡くなりました。
抗がん剤治療が出来なくなってから、あとはお父さんの体力次第って先生に言われてたから、廉の中で覚悟はずっとしてて。
だけど、ほんとに前日は会話も出来ていたから、いきなりのことで動揺しちゃって。いくら覚悟しててもダメですね。
で、一昨日と昨日で、お通夜と告別式をやりました。
とりあえず、お母さんもお兄ちゃんも着丈に振舞って頑張ってるからひと段落するまでは絶対泣かないって、弱音も吐かないで病気と闘って頑張ってたお父さんを笑顔で送ってあげようって
思ったけど、火葬される直前になったらやっぱりダメで、今まで我慢してた気持ちとか溢れてきちゃってお父さんから離れたくなくて、ずっと涙止まらなかったんだけど、泣いてる姿をお母さんに見せたらダメって思って親戚の後ろに隠れて泣いたりしてたんだけど、やっぱりお父さんへの気持ちは止められないし、でもお母さんの前で泣きたくないしって気持ちが矛盾?しちゃって最終的に過呼吸になっちゃって立てなくなっちゃって…。
そこで初めて、お父さんが亡くなったことを受け入れられてなかったんだなって気づいて。
でも、気持ちを我慢しないで泣いたことで少しは受け入れられたかなと思います。
納骨もまだあるけど、とりあえず葬儀は終わったので、今日からまた家族4人で今まで通り過ごして行こうと思います。
あ、仕事は、ずっと受けてたペットショップからようやく連絡が来て、今日から研修に出ることになりました。バイトですけどね。
とりあえず、行って来ます!
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました(*^^*)