タレブの「反脆弱性」を理解したら、生き方もこーんなに変わり、世の中の見方もすごく変わる。不確実な時代を生き抜く為の知恵!

タレブの「反脆弱性」を理解したら、生き方もこーんなに変わり、世の中の見方もすごく変わる。不確実な時代を生き抜く為の知恵!

2020年再開!
まずは、ナシーム・ニコラス・タレブの代表作「ブラックスワン」「反脆弱性」等より、新しい概念である「反脆弱性」の活用により、世界の見方がどう変わり、不確実性の時代にどう生きていくべきなのか、また社会の方向性につき論じていきたいと思います。

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なぜサンドウィッチマンは、老若男女に対してダントツの高い「好感度」なのだろう?

伊達、富澤両氏はどちらかと言えば、いわゆる「強面(こわもて)」ですよね~。

 

この「好感度」というのは実は少し不思議な言葉で、「好き」でもないけど、

「う~ん、まあ嫌いじゃないよね」みたいなのも含むのか、やはり範囲はやや広い感じ。

少なくとも、「好感度あり」と「好き」は違うわけです。

 

じゃあ、なぜこの好感度がサンドウィッチマンの場合、異常(?)に高いのか?

どうもこれは深層心理というか無意識のレベルが影響しているように思えるのです。

心理学の専門家でもないので、フロイト心理学がどうこうというのは分らないのですが、

なんかそんな感じがしてきたのです。

つまり「好き」は意識するものですが、「好感度」は意識しないで感じること

だから無意識の意識というか、本人の意識しないところでの「感覚的な」「好感」です。

 

そこではた!と思いついたのは、幼年期の経験としてほとんど全ての人がかすかに覚えているのが、

会った時は、いつも自分に優しい親戚の(あるいは近所の)「おじさん」なのです。

親はいつもなんだかんだうるさいし、兄弟や同年代の子供では喧嘩もする、

そんな中で、「おじさん」だけはいつもニコニコしてお小遣いくれたり、自分には常に優しいのです。

そういう「おじさん」はちょっとこわい顔をしていたり、ちょっと太っていて

かっこは良くないけど、だからこそ一番好きになるのです。

 

このやさしい思い出しかないおじさん(しかも記憶として意識の中にはないけど、潜在意識というか

無意識の中にある)とつながり、無意識の中での心地よさ、幼児体験の追認が行われているのではないでしょうか?

 

ほかのみんなにとっては、ちょっとこわそうな、太った、かっこよくない、でも自分には

いつも優しいおじさんのイメージ。 これは・・・サンドウィッチマンそのものでは。

しかも、そういう無意識の記憶はすべての世代にあるでしょうし、またそのイメージも

(サンドは伊達氏と富澤氏の2人いるので)、どちらかに近い可能性はより高くなります。

 

サンドウィッチマンが、すべての世代の男女にとって異常に高い好感度を上げている

理由は、この無意識の「好感」なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでは、実際に「反脆弱性」はどういうところに見られるのでしょうか? 言葉は新語なのですが、実は意外に多く存在します。

 

 例えば、人の筋肉。筋トレで、筋肉をいじめると、一旦筋肉は壊れて翌日など筋肉痛になります。でもその後は、より強くて大きな筋肉が入れ替わって生まれ、筋肉量を増やすことは皆さんもよくご存知ですね。このように組織は「反脆弱」だと言えます。

 

 また同じく人体の話ですが、ワクチンは少量ウイルスを体内に入れることでそのウイルスに対する免疫力を高めるということですから、これも力を加えより壊れにくくするということが言えるのではないでしょうか?これも「反脆弱」のケースになります。

 

 また建物の設計で、最近は固く固定するのではなく、逆に揺らせることにより地震による振動を逃がす設計になっています。これも揺れに対して堅固な建物で対抗するのでなく、揺れを利用して耐震を実現しているケースで、「反脆弱」と言えます。

 

 

 タレブの著書「反脆弱性」(英文は、Anti-Fragile)は、2017年に日本で発刊されました。大ベストセラー「ブラックスワン」の後のタレブの著作ということでかなり売れたのではないかと思います。

この日本版上下2巻の大作の中で繰り返し様々なエピソードを入れながら、一貫して「反脆弱性」の考え方を述べています。

 

 まず、「脆いもの」と言えば、航空便などで、Fragileと箱に書くような、ガラス細工や照明器具、精密機器などが思い浮かびます。さて「脆いもの」の反対はなんだろうか、というところからはじまります。普通は「固いもの」?「堅固なもの」?と考えます。

 

 脆いものは、あるレベル以上の振動や力により、壊れます。堅固なものは、それでは壊れなくても、振動や力を強めていけば、どこかでやはり壊れてしまいます。従い、より「壊れにくい」というのが実態です。それでは、タレブの言う「脆さ=脆弱性」の反対語、「反脆弱性」とはいったいどういうことなのでしょうか?

 

 一言で言うと、力が加わるとより強くなる、また、揺らされるとますます強くなりどれだけ揺らされても決して壊れない、更に言うと、不意の変化をプラスに変える、そう言うものを指します。これを「脆さ、脆弱性」に対する反対概念としているわけです。これは堅固なものとは異なる、まったく新しい言葉、と言わざるを得ません。実際にタレブも多くの言語で、この「反脆弱性」を表す言葉がないか調べたとのことですが、無かったようです。

 

 タレブは金融商品のトレーダーとして、またヘッジファンドの運営などで、金融の世界で「身銭を切って」勝負をしてきた人物ですので、例えば、株価が落ちると儲かる商品や、株価の変動(ボラティリティ9が高くなると利益が上がる商品など、どう変化しようが、また変化しなくともそれで利益を生み出す手法に慣れており。その経験からこの「反脆弱性」という概念を固め、より幅広くその概念を適用するために造語である「反脆弱性」という言葉を生み出したのでしょう。

 

 

1年前の大震災と原発事故は国民に何をもたらしたのか?

1年後の現在、消費税と社会保障、が声高に論じられ、
大阪では、維新の会の旋風が吹き荒れ、何も決めない民主党
政権と、何もできない野党への国民の不平が高まっている。

日本という国はどういう方向に向かっているんだろうか?

天皇制が事実上終わりを告げた、1945年。
高度成長を錦の御旗にせっせと工業化に励んだ日本。
そして90年代のバブルの崩壊と長期的な低迷。
世界的には、共産国の退場、アジアの勃興。そして我々の
生活自体のグローバル化。

政府を信用するでもなく、信用しないでもなく。
将来への漠然とした不安を心に。

日本人はどこにいくのだろう。

原発にたよるのでなく
右肩あがりではない
成熟した社会を目指そう、
という人もいる。

果たして、それでいいのだろうか。

このように考えたとき、
日本に、人々をリードする思想家が不在なのではないか、と思った。
吉本隆明が亡くなった。
いま、日本人に必要なのは、過去を踏まえ、日本人の本質を見極めて
どういう方向を目指すべきか、議論をすることかもしれない。

経済評論家は、山ほどいるが、だれも思想を語らない。

どうやって儲けるか、はもういい。
だれが政権をとるか、もどうでもいい。
TPPやグローバル経済、為替、そんな小さいことはどうでもいい。

今後100年、1000年と、日本人が何を信じ、何を目指して
生きていくべきなのか。
精神的な舵取りが、いま必要なのであろう。
そうすれば、すべての今の短期的な問題は解決するはずだ。





 

現在、資本主義はどうなってるんだろう?

マルクスが指摘した「搾取」って、今も問題なのだろうか?でも社会主義は、

すでに失敗の烙印を押され、資本主義の次のユートピア的な社会としての

「社会主義」の幻想などだれも持っていない。

地球規模の開発は、温暖化問題を生み出して、更に人類の生存を脅かし、

一方で、グローバルに商品化経済が蔓延し、貧困の拡大をもたらしてる。

このような状況の中、資本主義の「次」を誰一人として、語ることができず、

なんとなくGDP至上主義に対して、経済発展でない「豊かさ」を目指すべき

という抽象的な意見が徐々に強まっている。

資本主義の弊害を年々より強く意識している背景があると思われる。



資本主義において、最上層の資本家は人口の

1%前後、そこまではいかないが

それなりの収益のある中間層は

約15%
、それ以外は労働者、と言われている。

(「史的システムとしての資本主義」(ウォーラーステイン著))

労働者は、過去500年の間に確実に労働時間が増えており、それに対する

対価は減少している。

全世界的な利潤を、どう分配するのか?

もっとも根本的な経済のシステムとして、資本主義は首尾一貫して、上記のような

一部の富裕者への利潤の優先的な配分が、今も昔も継続して行われている。

昔との違いは、このような利潤分配が、かなりの部分グローバルに行われている

ことであろう。経済が世界規模である以上、当然の状況かも知れない。

中国が世界の工場となり、更にそれがベトナムや他のより未開な国々へ

移ってきているが、資本主義における搾取の対象がそのように拡大、移動して

いるということであろう。

この点から、いまの日本の経済を見ていく必要がある。

・グローバルな視点から、いまの日本で付加価値の低い労働者は

アジアの労働者どうように「搾取」の対象となる。

・企業としても、日本で製造拠点をもつメーカーの将来は暗い。

・国として、資本主義の頂点にたつには、上記1%ないしは15%の

高収益グループに入る必要がる。これができない限り、じり貧で、税収も

上がらないので、最後には財政破たんすることになる。

・いま日本は、この15%から落ちかかってる。

ではどうすれないいのだろうか?

まず思いつくのは

①産業資本の更なる増加 (法人税の減額)

②国内株式市場の活性化

③海外投資の増加

④海外投資余力の拡大のための「更なる」円高

⑤移民の禁止

⑥製造業より国内サービス業への労働者の移動

(その方が労働者の痛みは少ない)



どうでしょうか?ちょっと乱暴でしょうか。





 

東電の電気料金引き上げどう思う? ブログネタ:東電の電気料金引き上げどう思う? 参加中
本文はここから

東電は、法律上基本的に燃料代など、すべてのコストを電力料金に反映できる

ことになってます。

もともと電気代は、国の許可必要ですが、原価を積み上げて申請しているわけで

そういう意味でも、まったく競争もなく、かかったお金くださいね、というスタイル。

だから、社長曰く「値上げは権利」みたいになってしまうわけです。

問題は、今回の値上げがいいか悪いか、ではなく、電力料金設定の

仕組みがおかしいのです。

値上げされても、ほかから安く誰も買えないんですから。

だから競争が全くないことがおかしいんです。

原発と火力発電が別の会社で、原発の電力は安くても買わないで

ちょっと高い火力発電から買ったり、もっと高いけど風力から買ったり

というように、消費者の意識が反映される形が理想です。

今高い、安い言ってもしょうがない。東電はつぶさないで、血税が入るなら

結局同じでなないでしょうか。

ひとつ前の僕のブログもご参照ください。


 

東電の一時国有化について

枝野経産大臣が実質国有化を主張、それに対して財務省が国の

負担の増大に警戒しているとの報道があった。

これを皆さんはどう考えますか?


僕は、国有化に賛成です。

国から賠償資金の供与を受けながら民間企業として

存続すること自体とうてい考えられない。

でも本当のところ、今回は国の電力の「かたち」を変える絶好の

チャンスだと思うので、思い切った国有化に賛成したい。

いままで長い間、この国の電力体制はいびつな形と言わざるを

得なかった。

・競争のない地域独占企業が100%民間企業であること

・自由化による競争の導入が叫ばれて、もう10年以上たつが

全く何も動いていない

(というか、経産省の古賀さんなんかが飛ばされたわけですね)

・原子力は、その影響の大きさ(事故のときの損害賠償の大きさ)から

もともと民間企業が責任のとれる範囲ではないこと。


それでは、今後変わるとして、どういう「かたち」が理想なのか?

これはもう回答はほぼ固まっていて、

配電・送電・発電の分離、原子力の国有化しかないと思う。

もう諸外国で、さんざん議論され、実践された結果を参考にすればいい。

自然エネルギーの活用もできるし、競争原理も働く。

東電を解体すれば、ほかの電力の解体はそう難しくないでしょう。

東電の国有化、がスタート。これを逃すとまた綿々と受け継がれた

電力会社の体質が生き残ることになる。

国有化の議論では、りそな、とか JALとか、成功例って言うけど

目的は全く違うので、そういう話には騙されないように。

目的はひとつ・・・ 「東電解体」のみ。

久しぶりにブログ書きます。

なんかいまの時期は、人事異動とか、組織改編とかばたばたして、夜も付き合い増えて・・
なんて、言い訳やめましょうね。

戦後生まれの僕たちは、当然、戦争のことってなんか分かるような分からないような。
聞いたようで、何も聞いていないような。不思議な感じがします。

「戦略の本質」(野中)みたいな有名な分析本もあり、敗因については、いろいろ語られているのですが、どうも今一つピンとこない。
最近、「戦略不在システム・「カイゼン」への道」(浅岡)を読んでて、いかに日本の政府が多くの誤りを継続して行ったか、改めて感じた。

検証 福島原発事故記者会見(日隅・木野)を読んでてまた同じ思いがした。

東電・政府が何を隠したのか、という副題にある通り、様々な形で隠ぺいが
行われていたことは改めて言うまでもない。
それよりも、第2次大戦のときの記録と比較して、類似しているところは
1)問題が大きいと正しい判断ができない
2)常に軸がぶれてる
3)リーダーとして責任を取る人がいない(したがい組織間でいつももめる)
4)責任を取りたくないので、情報は流さない、内部決定プロセスも明かさない
5)一方パフォーマンスは好きで、命を懸けてでも頑張ることが、かっこいいと本気で思ってる。

戦争では数百万人が死んだ。福島でも適切な対応が取られたら、多くの被ばくは避けるkとが出来た。

同じことが繰り返されてるだけのような気がする。
そう思いませんか?









 

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検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか/日隅 一雄
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もともと、国家は外国との戦いや国民に対する暴力などの悪を

退治する「警察機能」が大きな目的だった。ところが時として、国家は

民衆に対して横暴な政治を行うこともあった。

したがい国家は民衆と対立するのが当たり前で、民衆はなんとか

国家権力の抑制をする方法を考えた。それが憲法による国家の

縛りであった。

その後、国家は民衆の代表者となり、民主主義に基づき、民衆が

選んだ代理人が政治を行い、もし民衆がそれをよしとしなければ

いつでも辞めさせることができるようになった。

そうなると、あえて国家の権力を抑制しなくとも、民衆の権利は

守られることになる。

ところが、問題は「民主主義」における決定プロセスにあった。

つまり多数派であれば何でも決められるし、少数派の権利を

奪うことだってできる。ここで、少数派の保護や権利の尊重が

必要になる。

ここまでは、教科書的というか古くから言われている民主主義の課題。



では、今の日本はどうなっているのか。

1)日本には、民族的マイノリティ(米国の黒人やヒスパニックのような規模感で)

は存在しない。

2)ムラ八分に見られるように、伝統的に「平等」且つ「ムラ意識」が強い。ひとと

違うことに対する恐怖感のようなものがある。


このような状況では、簡単に多数派を創ることができると思う。

例えば、マスコミによる世論操作。

特に、TVでよくやるあの「街の声」っていったいなんなのか。たくさんの人に

インタビューして、マスコミが言いたいことを行った人だけ編集すれば、なんか

多数派のように見えてしまう。それでまたみなが影響される。

しかも、それをマスコミでなく、名もなき人に言わせて責任逃れする。

だいたい「街の声」という言い方が失礼だと思う。

(あたりまえだけど)街が声出してるわけでなく、

一人一人の尊重されるべき真剣な国民の声でしょう。


また別の例は、原発事故の時の推進派お抱え学者のオンパレード的なTVジャック。

次から次から、「心配不要」と言われ続け、多くの人は騙される結果となった。


TPPに対して、原発の再稼働に関して、消費税に関して・・・

さまざまな多数派工作をしてくる。

自分のぶれない考えをもたないと、気が付かないで、なんとなく「多数派」に

なっていて、本当は少数派である自分自身を痛めつけている。 

特に大手マスコミ(新聞、TV)に誘導されないことが大事でしょう。

10年ほど前に、なにげなく上野の国立博物館で、原始人の骨を見てたんですが、

いまのわれわれ(つまりホモサピエンス)の頭蓋骨と、ネアンデルタール人の

それと比較して、妙なことに気が付いたんです。

それは、ネアンデルタール人の頭蓋骨の容積の
ほうが我々より大きい
ということ。

「進化論」から言って、こういうことって変じゃない?? 

と思ったわけです。

最近、イタリアのピーノ・アプリーレという変な名前のジャーナリストが書いた

「愚か者ほど出世する」(中公文庫)を読んで、10年前のことを思い出したわけです。

彼は、次のような論理展開をしています。

地球上では、大昔から、生き残るための戦いが繰り広げられている。

その法則は「数か力」であって、たくさんの子孫を残すか、力で生き残るしかない。

我々の祖先は、ライオンほど獰猛でない分、知性を働かせてまんまと生き延びた。

知性の威力はすごくて、人間を地球上にどんどん増やしてきたわけである。

・・であるならば・・・

すでに何十億の人間が地球上にいて、遠い時代とは違い、人類の生き残りは

確実になった今、この「知性」は必要ない。

実際、3万年~5万年まえから、人間の脳は著しく
退化し始めた
という。

これってどうよ。我々は知性の退化の途中にいて、数万年後にはよりサルに

近い人たちが、地球を覆うことになるのか。


アインシュタインはこう言ったらしい。

「人間がわずか数百万人という数で地球上をさまよっていたころに

ほとんどのことを考えだして、何十億という数で群れるようになった今、

なにひとつ新しいことを考えないのはどうしてだろうか」


これはこの本のごく一部です。興味あれば一読を(安い!)。

真実はほんとうに意外です。

原子力廃棄物を放射能が出なくなる10万年さきまで面倒見るだけの

知性は、我々の子孫にないかもしれません。

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