今日は、新型コロナの影響で生活が苦しくなった学生たちが、国に一律の学費半額措置を求めている件についてです。オンライン上では、複数大学の有志が署名運動も行っているようで、僕も遅ればせながら、そのキャンペーンの内容を読んでみました。その結果、日本の大学生について思うところがあったので綴ってみます。僕j自身も大学生の分際で偉そうなことは言えませんが、一個人の考えとして受け止めて頂ければ幸いです。
キャンペーンの文面で一番気になった箇所がこちら。
「学生のアルバイト、親の収入、学生ローンなどの抱き合わせでなんとか大学や専門学校に通わざるを得ないのは、そもそもの学費が高いからです。」
「大学や専門学校に通わざるを得ない」とはどういうことなのでしょうか。この文書には、ご丁寧に英語版も付いているのですが、英語にすると余計に違和感を感じます。
「students have been forced to manage to cover their costs for universities or colleges by their own part-time jobs, parents’ income, student loans, and so on because of the high tuition fees」
「forced to」って、まるで強制的に進学させられて、高い学費を払わされている、という意味に聞こえてしまいます。もしかしたら当事者たちは、このような意図はなかったのかもしれませんが、この文面では誤解を招きかねません。
まず、高等教育は義務教育ではありませんから、「通う/通わない」は本人の意思だと思います。もちろん、今の日本社会では、高等教育に進まなければ良い就職先が見つからない、という風潮があることは否定しません。ただ、高等教育に進学せずに就職する、あるいは手に職をつける、という選択肢もあるので、そこは本人とご家族による意思決定ではないでしょうか。誰も「高い学費を払って必ず進学しなさい」と命令しているわけではないので、「高いのを我慢して通っているので、補償してください」と主張してしまうと、日本全国の学生に対する誤解を広めかねません。
また、「学費を捻出せざるを得ない状況ならば、まず国公立大学への進学を目指すべきではないか」とも思います。もちろん、私立大学にも優れた大学は数多くありますし、国公立大ではできない経験が積めるのも事実です。問題は「本当に自分の学びたいことがその大学で学べるから進学したのか」ということ。「なんとなく大学には行かないといけないから、とりあえず進学した」という学生が少なからずいる気がします。そのような学生に対しても、一律に国費を負担するのは、若者から見てもあまり納得がいきません。そもそも、私立大学の学費補助を国に請求するのも違うのでは?
「国公私立の違いや、課程や学年の違い、国籍の違いを問わない学費半額への一律減額を求めます。」とありますが、国公私立の違いは、税金が投入されているか否かに大きく関係していると思います。ここで、国公私立の分け隔てなく国費を投じることになるなら、何のための私立大学なのかがわかりません。学費が高いことは理解した上で、私立大学を選んだんだよね、ということを再確認したくなります。
そして、このような支援を求めると避けては通れないのが、「今の大学生は勉強していないではないか」という議論です。実際は、大学名に関係なく、勉学に勤しんでいる学生はいるはずです。ただ、日本人は何でも一般論化するので、「日本の大学生は勉強していない」という認識が生まれるんですよね。「全国の学生に一律補助を」と言うと、「勉強しない学生にも払うのか」と文句が出て、「日本の大学生は、普段勉強していない癖に、有事の際にだけ声を上げるな」と全員が批判される展開になりがち。このように言われると、国公私立問わず真面目に勉強している大学生が迷惑します。本当に国が支援をするのであれば、「国公立大学の全学生と、私立大学の一定以上の成績を収めている学生」くらいの基準は設ける方がいいのではないでしょうか。そもそも、日本の大学は数が多すぎますしね。(笑)
今回の新型コロナ騒動で、普段は当たり前と捉えられていた「日本社会の変わっている点」が表面化しつつありますが、学費半額問題もその一例の様な気がします。「とりあえずよく考えずに進学する学生」が一定数存在していることは確かなので、「果たしてそれが学生のあるべき姿なのか」を再確認する時期が来ているのかもしれません。僕も、大学の最終学年を迎え、改めて「何のために大学に来たのか」をしっかりと考え、惰性の日々を送らないようにしなければ、と身の引き締まる思いです。
ではでは今日はこの辺で!
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