体罰や暴力を生み出す原因は「歪んだシステム」にあり
顧問による体罰が原因で、大阪市立桜宮高校バスケ部のキャプテンが自殺してから1カ月が経過した。橋下徹..........≪続きを読む≫いつから中学校や高校での体罰が無くなったのか、
実体験として殴られなくなったのはいつからか、
教師の考え方(文科省~現場まで)はどう変化したのか?
ちゃんと調べてないので何とも言えません。
ワシは中学生の頃先生に「口で言っても分からん奴は、
動物と一緒だから家畜のように叩かれても仕方ない」と言ってよく体罰を受けた方です。(同年代の人はみんなそんな経験はおありでしょう)人権?そんなもの子どもには、ありませんよ。あの頃は先生の言う事は絶対でした。
昔のテレビドラマ「スクールウォーズ」では毎週先生が体罰を繰り広げていました。(視聴者はそれを感動しながら観る)今、放送したらどうなるんだろう?
子どもの現場を少しでも知っている者からすると、体罰の定義は
「指導する立場の者が、対象者に命令などを聞かせるための最後の手段」だと思います。内容は暴力と一緒です。(目的は違います)
口で言って分かってくれたら、その方が良い。
それで分かってくれなかったら、そりゃ
指導者の力量不足です。
人を支配しようとか、その時点で間違ってる。
ただ現場の先生はあまりにもリスペクトされなさすぎています。
基本的信頼関係の構築が、出来ていないのに形だけ上を目指しても仕方ないでしょう。
ある意味先生にも「これ以上先生にハゲハゲいうなら停学だぞ!」とか権限が有って良い。
肉体的苦痛を与えてまで指導する内容は、人生にそれほどない。
ところでワシは、昨今の自殺報道で
いじめの所為、先生の所為にしているのが気に入りません。
自殺者の親が出てきて先生に文句だけ言うもの分かりません。
(教師、組織の改善要求などはいいのです)
「私は子どもの自殺を防げなかった愚かな親です」
「学校に行くよりも、部活で活躍するよりも、子どもの命の方が大事でした」
「『困った事があったら、いつでも相談しろよ』、と言っていましたが実際は仕事で忙しく日頃から話をしてませんでした」
社会(学校や会社)は理不尽の塊のようなもので、決して無菌室では有りません。
社会人も過労死や自殺してから会社を遺族が訴えますがそれと同じ構図ですね。
心の怪我は生きていれば「必ず」するものです。
傷つくのが人生です。(傷つかない生き方は人生ではないのです)
日本人などのライフスタイルがここ数十年で変わった(結婚や出産、食生活や人間関係や、交通と通信の高速化、最期や葬式)で、人間が人間らしく生きて行くのが難しくなったと思います。
生きること(生き物は他の生物を殺して生きています)
生むこと(生き物は死ぬから子どもを作ります)
死ぬこと(生き物は必ず死にます。死ぬまでのことを「生きた」と言います)
について各人が考えていく必要があるのでしょう。