与えれた環境のなかで | cyunsanバニラソフトのブログ

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生き残りの古代人、
頑固なままの侍。

不器用です

昨日は、
定休日。

しかし、仕入れの他、
病院に。

走行距離は50キロメートルを超えた。

安全運転。

途中でドライブレコーダーを予約申込み。


なにせ、
この眼。

大学病院の医師二人・しかも準教授医師によって適当に入れられたレンズは、
わたしの人生を変え、
年老いた母親の晩年の幸せを奪った。

術前術後の説明はなかった。

歯がゆい。

しかし、
裁判する時間はもったいない。

お寺の世話人をしていますが、
わたしより若いご住職が
『与えれた環境の中で、この後の残された時間と人生を如何に生きるか』

いつ失明するか分からない。

世話してくれる妻や子供や孫は居ない。
もちろんいまからでも来て下さる方が居れば断る理由は無いけれども。

そんな中、
懸命に生きてます。

中学同窓会、
自分が発起人で立ち上がった同窓会。
会長させて頂いてます。

先日は五年振りの大同窓会を開いたけれど、
会長挨拶させて頂いた。
準備会議は欠席し、
当日も欠席する予定でしたが、
『元気つけるのが居るから出てくれば』
という同級生の言葉で出席。

事前会議で私の代わりに挨拶する手筈だったのは副会長。
彼は『会長が出るなら会長挨拶でしょう』
と言って。

次の同窓会には出られる可能性は低い。

みんなの前は、
最後かも知れない。

そういう自分の心を事情を知っている同級生たち。

医師には、
実験台だったかも知れない。

しかし、
人には人生がある。

神様・お釈迦様に与えられた人生。

女性は命を掛けて子供を産み、
母親となる。

わたしにも、
命を掛けて産んでくれた母が居ます。

残された時間。
懸命に生きる。

それしか、
有り得ない。

関東の
大学病院の眼科。
次の犠牲者が出ないことだけ祈って。

ひたすら私は1日1日生きる。
夜明け
朝を迎える。