『自由』
自由民主主義を支持する人々の自由
それは本来キリスト教の思想を基とし、
神さまの下の平等、
神さまの下の自由を
言う。
それに対して
共産主義思想の自由とは、
思想に於いて存在してない。
なぜなら共産主義思想は、
マルクスの家庭に於いて
キリスト教の宗教弾圧により、
宗教を激しく憎んだところが起源であり、
その無神論により『神様の自由』までも完全に否定の立場に立たざるを得ていないのがその理論でないとおかしい。
故に彼らが自由を主張する事は、
理論に準じない。
『自由と神様』
その後、
『釈迦族の釈尊の自由』が
産まれた。
釈尊はまた放縦を良しとしてない傾向が会ったと思われる、
『放縦』
今現代の人々は
『放縦』を『自由』と履き違えている。
キリスト教とブッダを学んでいないから、
心の内面から・自らを内面から見定めていない。
故に
『放縦』を『自由』と履き違えている。