伊豆大島災害は人災 | cyunsanバニラソフトのブログ

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生き残りの古代人、
頑固なままの侍。

不器用です

バンキシャ』で
伊豆大島災害での
当時の役場内の様子を詳しく再現してます。

「この十年に一度あるかないかの台風が来る」と気象庁が再三再四報道していたのに…。

責任者の町長と副町長が出張していた。


責務を少しでも思えば、
考えられないこと。

留守を任された総務課長と教育長に防災係長の
当日の午後5時過ぎに揃っての帰宅も考えられないこと。

そして、その三人の留守に気象庁から最も大切な警戒情報が来た。
それを手にしたのが再度役場に出勤した六時間後で、
それも軽んじた判断で右から左に流してしまった。

という。

その間に、出張中の町長副町長には一切報告はしていない。

そして、
午前2時半に、
土壌崩れが起きた…。


これを人災と言わずなんと呼ぶのだろうか…。




自分、
神様仏様と共に居たいと思ってます。

だから、
 自然界と共に生きてきた人々の
艱難辛苦を
 すべて人災とだれかの責任として吊り上げる思考は本来的に持ちたくはないのですが、
東日本大震災の菅直人総理(当時)の
行いと、
今回の伊豆大島災害では、

他に呼びようがない。




ことが、
限りなく辛い、
悲しい…。



これは、
間違いなく人災であった。




今年は、
渋川市の金井淵から鎧古墳が出土された。
榛名山二つ岳の噴火で集落全体が火山灰に覆われた…。

王様と思われる人が大陸系のしっかりした鎧を付けたままの姿で発掘された。

当時は、
大陸系の人々を数多受け入れたのが、
倭の国の民であり、
上ッ毛野(群馬)の民である。


火山活動と自然現象と共に倭の国の歴史は刻まれて来た。


逆らえない自然現象。

時に怖れた。



それでいて、自然界に倭の国の民は神様を見て来た…。

贖い敬い、お祈りして来た。


人々は、決して自然現象を軽んじて来なかった。


だから日本人とその民族は此処まで生きて来られたのかも知れない。