精神的・肉体的な事情があって入浴が難しい人がいることは承知しています。この記事では、そうした事情についてはあえて扱いません。


「風呂キャンセル界隈」という言葉を、最近よく目にする。


風呂に入らない、入れなかった、今日はもう無理。

そういう状態を指す言葉として、2024年頃からインターネット上で爆発的に広まった。


「界隈」という言葉がつくことで、

本来は少し後ろめたさを伴う行為が、

“みんなやってること”に変換される。


そこには妙な安心感がある。

そして、薄い帰属意識や仲間意識が生まれる。


最近では、某芸人が

「風呂キャンセル界隈」という曲を出し、

それがバズっているのも目にした。


でも、正直に言うと、

私はこの言葉があまり好きではない。




風呂に入らないという選択は、

基本的には個人の選択だと思っている。


疲れていたから。

面倒だったから。

今日はもう何もしたくなかったから。


それは誰にでもあることで、私にもある。


ただ、その選択の責任まで

「界隈」に預けてしまうのは、少し違う気がする。


風呂に入らなかったのは

「界隈の一員だから」ではなく、

その日の自分がそう選んだからだ。


怠惰であれ、疲労であれ、理由は自分の中にある。


風呂に入らなかった日。それは「風呂キャンセル界隈」の一員としての行為ではなく、

ただ「風呂に入らなかった人」だと思う。



実を言うと、私もたまに風呂に入らない日がある。

(え、ありますよ泣き笑いもちろん怠惰です。)


今から10年ほど前、

まだ「風呂に入らない人」が

こんなふうに大手を振って語られる前のことだ。

(風呂に入っていないことが露呈した日には

「女子力終わってる」「人間失格」くらいの盛大な悪口を言われるような時代だったよね?不安ガーン


あるとき、友人に己の「風呂キャン」を打ち明けたことがある。


「実はさ、土日とか、風呂入らない日あるんだよね」


すると彼女は、目を輝かせてこう言った。


「私もだよ……!」


その瞬間、妙な連帯感が生まれて、

それ以降、彼女との距離は少し縮まった気がする。


でも、それは

こっそり打ち明けたからこそ生まれた親密さだった。




風呂に入らないことは、

本来、内に秘めておけばいい話だと思っている。

「界隈」であることが、風呂に入らないこと、不潔であること、ひいてはそれが他人に迷惑をかけることのエクスキューズになってはいけないと思う。


気のおけない友人だったり、

インターネットの隅っこだったり、

小声で笑い合うくらいがちょうどいいんじゃないかな。

風呂は入ったほうがいいよふとん1