TAKEO&KUDOのブログ
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人生の転機2

高校1年の夏から1週間のスケジュールはこのように過ごした。


月曜・・・学校→自宅で7時間勉強

火曜・・・学校→予備校→自宅で2時間復習

水曜・・・学校→予備校→自宅で2時間復習

木曜・・・学校→学校で自習→下北沢にダンスのレッスン

金曜・・・学校→予備校→自宅で2時間勉強

土曜・・・学校→自宅で勉強

日曜・・・自宅で10時間勉強


この生活はきっちりこなした。。。ちなみにすし屋のバイトは高校2年の夏休み(笑)


そのかいあって高校1年の秋には学年順位1位もとれた。



「人生の転機1」で記入したキッカケは、家族にある。。。


自分の成績が上がっていく中で、周り(家族等)に変化があった(内容的にブログじゃ書けない)。。。←これがキッカケ。


このキッカケから人っていうのは、どんな関係でも常に密接な立場にあり利害関係をもっているんだって思い始めた。気を使いすぎる性格はここからきてる。あと、感情的なことを嫌うのもここからきてる。


一番冷静だった父親がこのキッカケからよく自分を怒るようになった。できる限り父親とは距離を量り、どう怒られずに過ごすかを考える毎日になった。またそれ以外の家族とも距離を置いて。。。


父との会話は、テスト後の成績が発表されるとき・・・どんなに成績が良くても最低5時間は罵声を浴びさせられる。

どんなに言われようが、前向きに捉え、耐えた。。。


その度合いは時間を追うごとにひどくなっていっても・・・



部活を辞めてからの高校生活の二年は上記の一週間のスケジュールに加えテスト後の説教が繰り返されるという流れしかない、、、


基本的に自分の勉強のスタンスは前倒し。高校2年の終わりには、全国模試で全国10番以内もとった。この時期には、受験勉強はほとんど終わった状況で志望校(TG大学G学部)は高校3年の夏には余裕をもって入学できる状況だった。それだけやったと思う。




高校3年の秋、自分にとっての転機がおとずれる。転機というよりは事件。


センター試験直前、父と母に話があるって呼ばれた。。。


「進学は諦めろ」


この一言が自分の人生を狂わせた。。。




次回へ続く・・・

















人生の転機1

この話題が出たので自分の人生の転機を書いてみる。



自分の人生の転機は、大きく捉えると2回ある。


1回目は18歳のとき。


2回目は22歳のときだ。。。


普通の人に比べて自分という人間は複雑な人生を歩んでると思う。簡単に自分の経緯を書こう。


小学生のころ東京から埼玉に引越してきて、環境の変化にかなりのカルチャーショックを受けた。

「何もない」  「住民が野性的」  この二つが大きく感じたのは今でも覚えてる。


引越し先の小学校は裸足の生活を推進しており、小学校内では裸足じゃなきゃいけないという規則があった。もちろん校庭もだ。靴下と上履きが履けるのは病人だけというよくわからない規則だ。そりゃ、野性的になるわ・・・


引越してきたときの自分に対する周りの印象は、今もよく言われるけど、「おぼっちゃん」に見えるらしくよくからかわれた。決してお金持ちの家ではないのだけれど・・・個人的な意見は、周りが野性的だからだろうと思ってる。。。


そんな一風変わった小学校生活は、環境の大き過ぎる変化に何年たっても馴染めずに習い事ばっかりした小学生生活を送った。公文式、学習塾、ピアノ、野球、習字、硬筆・・・このうち習字と硬筆は小学校3年生のころの通信簿に先生からの要望で「字が汚すぎるからお習字に通ってください」って書かれたことがきっかけで通うことになったが、今でも習っていて良かったと思ってる。ちなみに、習字、硬筆ともに2段。


地元の人間とうまく馴染めないという状況は中学生になっても続き、中学生のころは結構引きこもりがちになった時期がある。そのせいか高校受験のときは学力に見合った学校よりも地元からいかに遠く地元の人間が行かない学校を選んだ。

(ちなみに中2のときに家族、友達に内緒でバレエダンスに興味を持ち、習いはじめる)



地元からは自分一人しかいない高校に入学し、自分なりの再スタートをした。入学してすぐにできた友達がラグビー部に入部するといって一緒にやらないか?と誘いを受け自分もラグビー部に入部することになった。


運動神経はそこそこ良かったらしく入部して1ヶ月でレギュラーをとることができた。かなりセンスが良かったのかわからないけど、有名大学のラグビー部の監督がわざわざ自分を見に来て「うちの大学に来い」って言われたことが、4回(4校)ある。

まぁ、それだけ集中してやっていたから勉強との両立はできず、高校1年の夏にラグビー部をやめた。このとき、かなり期待のホープとして扱われていたせいかコーチがやたらしつこくしてきたのでコーチにタックルした(笑)


部活を辞めてからは、予備校に入り勉学に励むことになる。高校1年の夏から予備校(代ゼミ)に通ってる人間は

ほとんどいなくて広い教室には10人ほどしかいない状況だった。。。


ちなみに当時の夢は外交官。。。



一体いつになったら転機が訪れるのって話なんだけど、、、ちょうどこのときくらいから転機のきっかけになる生活の変化が徐々に現れる。


                                                          


                

                                                    次回へ続く・・・










都市計画

勝手に都市計画を考える。


自分たちが住む街・・・そこにわくわくがあるだろうか?


いわゆるベッドタウン化してる街に街としてのおもしろさとは何か?


本当に住んでておもしろいと思える街。。。


散歩という習慣が当たり前にできるような、、、そんな街がいい。


道には何気なくベンチがあって、座ってちょっと街の動きを眺めれるそんな街がいい。。。


街としての統一感、、、文化の尊重、、、今の街に足りないもの。。。


以前の日本にはそれがあったはずなのに、、、


自分が住む埼玉県を自分の人生をかけておもしろい街にしていけるよう努力したい。