59日午後1111分、私の宝物「むぎ」は虹の橋へと旅立ってしまいました🌈

8歳と11カ月でした。

 

もともと、皮膚の弱い子でいつも病院に通って薬を処方してもらっていました

むぎは、たまに嫌がる時はあっても、きちんと薬を飲むお利口なワンコでした。

 

昨年の夏のある日、むぎの下腹部付近にできている腫瘍を取り除く手術をしようと、病院に行きました。

その腫瘍は、ずっと前からあるもので、体に害はないものだと聞いていたのですが、だんだんと大きくなってきて手術でとれるものなら取ってあげたいという思いから、手術を決心しました。


術前検査での血液検査で、甲状腺機能低下症であることが分かりました。

甲状腺の機能が正常に戻すお薬を処方してもらい、1カ月もすると数値は正常になりました。

 

が、その時、獣医さんが「なにか、心音が気になるな・・・」と。

年の為、レントゲン検査をしました。

その時に先生に言われた病名が、「僧房弁閉鎖不全症」でした。

この病気は治ることはない、しかし薬を飲んていれば悪化を遅らすことはできるという事。

でも、この病気からの肺水腫などが死因になることはあるということ。

私は頭の中が真っ白になり、自然と涙があふれていました。

先生は、いまここでみつかったのだから、薬をのんでいれば大丈夫と。

 

そこからは一日も欠かさずに薬を飲んでいました。

しかし、薬をのんでいるものの、咳はよくならない。

 

いつの間にか、走ることが少なくなったむぎ。

いつの間にか、寝ることが多くなったむぎ。

でも、そんな感じで月日は流れていってました。

 

ところが、GW10連休が終わった、57日、むぎの様子が急変しました。

仕事を終えて帰ってくると、なにか元気がない。


たまに、そういう時もあるし・・・って感じでしばらく様子を見ていたのですが、明らかに呼吸が苦しそうだ。

夜中になるにつれ、だんだんひどくなり、何回も嘔吐を繰り返すようになりました。

むぎも私も一睡もできませんでした。

 

朝一番で病院に連れて行きました。先生の口から「肺水腫」という言葉が・・・

このままでは危険な状態なので、即入院。酸素室に入り、利尿剤・ステロイドなどの注射・点滴などしました。


とりあえず入院なので、私はそのまま仕事へ向かった。会社に着いてもむぎのことが心配で仕事が手につかない。


15時頃にやっと先生から電話がありました。

呼吸の状態も良くなってきて、むぎは先生の顔をみて尻尾を振っているとのこと。

「峠は越えましたが、もう少し入院しましょう。明日の夕方お迎えに来てください。」と言われました。

「峠は越えた」という先生の言葉を聞いて、自然と涙が出てきた。よかった・・・

でも、まだ入院。早くむぎを抱っこしてあげたい。むぎ頑張って!

 

私は、緊張したまま、次の日の夕方まで何とかやり過ごした。

仕事を終えて、むぎのお迎えに行った。早くむぎを抱きしめたい。いい子いい子って褒めてあげたい。


先生に呼ばれ診察室に入りました。先生が深刻そうな顔をしている。

「朝レントゲンを撮って、肺の影も消えてるんだけど、今日の午後あたりからまた体調が思わしくない」と。

一度見てあげてください。と言われ、むぎのところへ。

むぎはお迎えに来てくれたと思い、大興奮している。

先生が、今はこんなに興奮したら危ないんです・・・このままおうちに帰るのは危険なんで、もう一日入院しましょう。と。


これが、私がむぎを見た最期になりました。

今思えば、どうしてあの時無理やりにでも連れて帰らなかったのかと。

まあ、その時は、むぎが元気になると信じて、涙を流しながら帰ったのですが。


そして、その日の午後1111分、先生から電話がありました。

「むぎちゃんが息を引き取りました。一度蘇生したのですが無理でした。」

すぐに病院に行った。そこには冷たくなったむぎがいた。

足の震えが止まらない。涙が止まらない。

最期は酸素室の中にいたので、苦しみも少なかったと聞いて、少しはほっとした。

 

「むぎ、いっぱいがんばったね。お利口だったよ」

私はむぎにたくさん「いい子いい子」してあげた。

 

むぎは幸せだったかな?そればかり考えてしまいます。

 

私は、むぎと過ごせて本当にめちゃくちゃ幸せでした。

むぎは私の「宝もの」でした。

 

むぎ・・・9年間ありがとう

 

虹の橋ではほかのワンコと仲良くしてね。