皆さん、こんばんは。宮澤です。

 

突然ですが、誰かを傷つけてしまったことはありますか?

 

もちろん私はあります。

 

それどころか、遠い昔ですが殺してやりたいと思うほど憎しみを込めて暴言を吐いたこともあるくらいです。

 

 

人の心は弱く、今起こっている理不尽や苦しい出来事のさなかにいると、誰かのせいにしてしまいがちです。

 

そして、誰かを傷つけてしまったり、逆に傷つけられたり。

 

 

学びのための出来事とはいえ、なるべくは体験したくないことでしょう。

 

 

今からお話しすることは、恐らくは受け入れられない人が多いと思いますが、あえてお話させて頂こうと思います。

 

もちろん、信じる信じないはご自身の自由です。

 

 

 

 

何度も何度も同じ問題で苦しんでいる人がいます。

 

 

例えば、どこに行っても、いじめの標的にされる人。

 

学校を変えようが、職場を変えようが、住んでいる環境を変えようが

 

なぜか常にいじめの標的になり、傷つけられてしまう。

 

 

 

繰り返し、繰り返し同じ壁、同じ問題にぶちあたる場合、

 

それは今世で解消するための試練である確率が高いです。

 

 

自分が傷つける立場にいるか、傷つけられる立場にいるか。

 

究極的に言うとどちらにも善悪はなく、それは二人で共同で起こした作品なのです。

 

 

「いじめは良くない」というのは間違いなく、私もそれを否定するつもりは一切ありません。

 

ただエネルギー的な話をしているのです。

 

 

 

すべてはエネルギーで出来ています。

 

 

 

発している周波数がフェロモンのように、パズルのピースのようにぴったりとハマる相手を引き寄せます。

 

いじめっこ、いじめられっこも同じです。

 

過去世の因果まで遡ってみれば、それはお互いが互いの為に、因果を肚から学ぶためにある出来事なのです。

 

当事者はそれに気づき、手放し、内宇宙を変えるまで、要は周波数を変えるまでこの現象は続きます。

 

 

そして、それを見せられている周りの人たちもそれ相応の因果があります。

 

いじめの現場を目撃して、自分の中でどう処理するか、どう昇華するのかは霊性相応の判断に委ねられるのです。

 

 

 

誰かを傷つけるとき、それ相応の因果を背負う覚悟を持ってください。

 

誰かを傷つける意図を持って言葉を発するとき、それ相応の因果を背負う覚悟を持ってください。

 

 

誰かに傷つく言葉を言われたとき、あなたはそれを受け取らなくていいです。

 

 

例えそれがあなたに向けて発せられた言葉でも、

 

あなたの意思がそれを受け取らないと決めれば、

 

その言葉は発した本人に返っていくだけです。

 

 

 

どちらの立場にいても、悪因縁断ち切る覚悟を持つことが、自身の器を広げるアセンションの道であります。

 

 

 

間違ってしまってもいいです。

 

良き考えであろう、良き心であろうと努力し続けるあなたの姿勢は

 

とても美しい心の在りようです。