照ママと猫日記 -2ページ目

照ママと猫日記

~~~~~~~~母ちゃんと愛猫の可笑しな日々

2020.8.12)リブログ記事



昭和の時代の珍珍物語…思い出話です

恥ずかしい出来事を暴露いたします
 
流れを言うと京阪バス会社は2年半で退社 
一人っ子の私を母が心配して、鹿児島にも
観光バスはあるから 帰って来るようにと
哀願され、結婚を理由に寿退職となった
 それは辞める為の嘘でしたが、嘘が誠に
なって帰省3月目には本当に結婚することに
珍物語は、結婚話ではなくて、バスガイドの
2年間に起きた出来事です爆笑爆笑爆笑

昭和43年〜45年…私達 新入社員は
1年間、日々訓練が待っています
暑い夏、寒い冬、講習に実地訓練が
続きます。伏見区にある寮は女の花園。
きれい所の先輩達は1週間前に知らされる
バスが走るコースのガイド集を片手に
ぶつぶつ暗記してる姿が異様に見えた

私達、1年が過ぎた頃、市内観光コースの
実習に入る。現在はどうかわからないけど
当時は、修学旅行だの長距離コースは
なかったように記憶してますがネ…
シーズンオフになると路線バスの応援も。
京都のバス停の名前覚えるのも大変‼️
競馬場までの、運行コースがあったり
スポーツ遠征地までの送り迎えの
運行があったり。昭和45年3月には
大阪万博会場までのコースがあったネ
その最中に会社退職して万博会場内で
1〜2ヶ月バイトしてから 帰省しました
 
物語は、まだ現役の頃の話ですが
〇〇学園の学生さんからラブレターを
貰った…ラグビー部の試合があるらしい
大阪城の近く?会場は花園だったかな?
私は、仕事休みだったので応援に行った
むさ苦しい男達の闘い…あまり興味は
なかったが、「試合を見に来て欲しい」
との初のラブレターに気を良くして
お姉さん気分で行ったのです。試合は
負けて悔し涙を流す学生、可愛かった
 
その頃 門限に厳しい京都の寮から
アパート形式の寝屋川の寮に移る
寮長さん宅から 電話の知らせが…
ラグビー部のあの子だ、花火大会に
付き合ってほしいと 誘われました
その前に両親が 夕食の準備をして
待ってると、食事にも付き合うことに
訳わからないけど 自宅に招待された
 
キョロキョロいよいよ珍物語が始まります
 
両親から、お礼を言われた。
ひとり息子の試合にわざわざ応援に
行ってくれてありがとう〜自分達は
仕事があって 行った事がないとか
そう言えば、たくさんの応援軍団は
年齢的にお父さんや、お母さんたちだ
ラグビー息子、私の事をどんな風に
紹介したんだろうか?ま、どっちでも
良いけど トイレはどこ?
 
案内されたトイレは見た事もない
様式トイレ❓❓❓びっくり 初です‼️
その時代まだ、どこも和式でしたから
ハテ?、どっち向きに座るんだろう
家の人に今更 聞く訳にもいかない
 
しばし悩む…こっち向きは う〜ん
オシッコが飛び出しそうな気がする
 
うんキョロキョロやっぱりタンク向きだね…
イザ、座ろうとしたら パンストや
下着が邪魔でまたげない。全て脱いで
またいでタンクを抱いて 用を済ませた
 
なんと不便な「様式トイレ」だと思った
トイレに入って、かなりの時間がガーン
小なのに、大と思われたかもしれない
ここの家には2度と来ないようにしよう
昭和43年初体験の 珍珍物語でした笑い泣き
 

食事が済み、花火大会を見に行こうと
枚方大橋の河川敷にふたりで出かけた
そこで、交際を申し込まれた…が
彼はまだ高校2年…私は社会人
無理な話だと思って お断りしました
ゴメンネ〜〜ラグビー息子さんハートブレイク
 
当時は、16歳と19歳 3歳違い
今頃は、お爺ちゃんと呼ばれているね
私だって お婆ちゃんなんだから…