皆さんこんにちは~!レビです。これが初めての記事なのでワクワクしてます!
豆腐メンタルなのでお手柔らかに🙂
皆さんゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたでしょうか?
私は父方のおじいちゃんおばあちゃんの家へ約4年ぶりに帰省しましたー
コロナの影響もあってしばらく帰省できていませんでした。同じ状況の方も多かったのではないでしょうか?
ところで本題なんですが、高速道路が混むととても時間がかかって大変なので、5時起きの6時出発でした。
いつも8時起きの私にとっては過酷でした。眠すぎます😴Zzz‥ᐝ父親の運転で爆睡でした。(運転優しいからに違いない笑)
ゴールデンウィークだと、普段運転しない人が高速道路を猛スピードで走ったりするので事故が起きやすいですよね。
途中で事故の見物渋滞に突入した時に事故車両が見えましたが、フロントの部分がかなり潰れていました。
せっかくのゴールデンウィークが台無しになっちゃうじゃん、事故ったら予定崩れて全部キャンセルなのかな?いや、レンタカーでなんとかするんじゃない?とか父親と会話しながら、そして爆睡も挟みつつ最初の休憩所へ8:00頃到着。
朝ご飯を食べていなかったのでラーメン1杯を軽々と食べました。(1杯ぐらいで調子乗んなって言わないでよ?笑 頑張ったんだから!いつもスティックパン2本で満腹ピーポーだからね)
で、ラーメンの味ですがしょうゆ味が薄かった感じ。でもチャーシュー美味かったからおっけー👌
ラーメンでお腹いっぱいになった後、運転手を交代して私がドライバーに。もう初心者マークを外さなきゃ行けないので緊張が高まる。
高速道路の難しい所は合流だと思ってます。本線に自分が入る場所があるかどうか見ながら、加速するといった感じで、マルチタスクが苦手な私にとってはかなり体力を消耗するものでした。
そしてなんとか目的地のICを降りておじいちゃんおばあちゃんの家に到着!
もう4年もその県に足を踏み入れてないので、潰れてしまった店や新しく建てられたアパートなどが沢山ありました。こうやって破壊と創造が繰り返されるんだなって思いました。
父方のおば&おじいちゃんおばあちゃんからは成人祝いのお小遣いを沢山もらいました!
その後私の運転で近くのスーパーまで行き、お寿司とそばを買いに行きました。
そしておやつにはジェラートを買い、浜辺に行って散歩しました。
おばあちゃんが普段の散歩で見つけた特別な場所があると言って、小さな砂丘みたいな場所に案内されたんですけど、ほんとに砂が波打っていて綺麗でした!
迷うことなくiPhoneのポートレートで写真を撮りました。
にわかではありますが、最近写真を自分なりに撮るのが趣味です!
時制がバラバラにはなってしまいますが、浜辺を歩く時や車を降りる時に、おじいちゃんのそばで転ばないように横に付いていてくれと親に言われていました。
確かに、おじいちゃんは足があまり上がらず腰が曲がって前傾姿勢でした。もう80歳を超えています。平均寿命(2022年の統計)を今年迎えるわけです。
私の父は「もうあと何回オヤジに会えるか分からない。片手で数えられる程かもしれない。」と私の前で話し、おじいちゃんと父親の間に残された時間が少ないことを悟っていました。
おじいちゃんに久しぶりに会ってみた感想ですが、かなり体の動きが遅くなり、会話の受け応えも上手く噛み合わなくなり、口数も減り何を考えているのか読み取るのが難しかったです。
どんなに昔は元気でも、以前会った時に明るい人であっても、いつかは弱り果てた姿になりますし、お別れの時は突然来ます。
だからこそ1回会う時の重みというのがあり、かと言ってその時に満足いくほど会話や親孝行出来たりするものでもない、そこが人間らしい所あるいは儚い所でもあると感じました。
父親の実家を後にする時に、私たちの車が見えなくなるまでおじいちゃんおばあちゃんが手を振っていました。
毎回、田舎っぽい儀式だなとは思いますが、あと何回会えるのだろうと考えると、おじいちゃんおばあちゃんたちの、寂しい気持ちをこらえて見送る心情が伝わってきて、こっちまで寂しくなってきます。
それに帰り道では、田舎ならではの小さい市役所や小学校、全く電車の通らない線路などの風景や、大きい店に人が全然いない、寂れていて人の気配がない不気味さなどの雰囲気が私の涙腺に追い打ちをかけてきます😢
日帰りの帰省でしたが、夜遅くに自宅に着いた時にはまるで1週間ぐらいの旅から帰ってきた気がしていました。
皆さんは仮に田舎に旅行しに行ったらどんな気分になりますか?
私のように寂れた空気に悲しみや恐怖を覚える方もいるかもしれませんね。
人間を含めて生き物全部に対し、生きる意味は何だろう?という疑問が、浜辺に転がっている貝殻や流木を横目に見ながら歩いている時に強くなるのを感じました。
そんな問題に答えなんかない、見つけるんだ、と哲学的なことを思うかもしれませんが、私にはそういった回答がなかなか腑に落ちません。ぼやけた答えは苦手なんです。どうしてもただ一つの事実(生きる理由)を知りたいんです。
理由を知ってしまったら何か悲劇が起こるのでしょうか?私はそうは思いません。もっとみんなが周りに対して親切になり、努力するようになると信じています。
叔母の飼っていたやんちゃな犬は、昔よく私に飛びついてきて私はそれにびびっていましたが、今ではその犬は三途の川を渡り天国にいます。
それを聞くと会いたくないという気持ちもなくなり、会いたいと思うようになります。よく、不仲な芸能人のどっちかが亡くなると、「あいつはいい奴だった」と後で語る現象と同じですね。
人は何かを失って初めてその必要性に気づくのだと感じました。気付いたということはもう既に失ってしまったものがたくさんあるのかもしれません。
最近、私は友達がどんどん減っている気がしています。今までの人生でもっと友達を大切にすべきだったというメッセージなのでしょう、きっと。
そして、人生は限られていますよね。私は今日が10代最後の日です。親とも話しましたが、日本の平均寿命は80年ぐらいで、日数にすると人の人生は30000日ぐらい。
私の場合、あと20000回ちょっと寝て起きたらもう人生は終わるわけです。そのうちの何日を楽しく過ごせるのかを考えると胸が苦しくなりますね。
私のように心に問題があると、楽しくできる日も簡単につまらなくなります。環境に左右される時もあれば、自分で台無しにしてしまう時もあります。
無理やりポジティブな言葉を自己啓発のように呪文のように唱えても、心はその嘘を見破ります。
なので、私は少しでも自分のことを大切にして、「今日は人生最高の日だったか?」という質問に対してイエスと答えられるように日々生きようと思います。
こう見えてこの日記ブログ書いててとても幸せなんですよ!内容とは反対に
現実では打ち明けられないこともここでは素直に言える、これって最高です!
そして読んで下さった方の中には同じ気持ちの人もいたかもしれません。もしいらっしゃったらぜひ教えてくださいね!
私のInstagram(@cyberpunk2055)では、ブログに載せている写真などを投稿したりしているので、そちらの方でも気軽に絡んでください~
フォロバ絶対します🤣