・「あきらめないこと」と、ある人は言った。「まっ白にならないことです」と、ある人は言った。「絶望は愚か者の決定です」と、ある人は言った。「じたばたあがくことです」と、ある人は言った。

あちこちの「ある人」が、なんとかする方法を教えてくれている。勝つとか負けるとか、成功するとか失敗するとか、結果については保証はできない。だけど、その袋小路を抜け出す方法なら、ある。つまり、「あきらめないこと」であり「まっ白にならないこと」である。そうしたら「なんとかなる」のだと言う。ぼくも、まったくそれに賛成である。

「なんとかなる」ほどすばらしいことはない。「なんとかなる」は、「うまくやった」の同義語である。同じじゃないけれど、同じようなものだ。なにかしらを失っていたとしても、どこかしらに傷をつくっていたとしても、「なんとかなる」に勝るものはない。勝った負けたよりも、成功したかしなかったかよりも、「なんとかなった」のほうが、価値が上なんじゃないか。いや、上だの下だのも関係ないな。いちばんいいのは、つまり上々の上は「なんとかなる」なのではないだろうか。

「なんとかなる」のなかには、欲も夢もないかもしれない。そこらへんのいろいろに足をとられていない。ただ「なんとかなった」のは、「なんとかならないかな」とじたばたするのをやめなかったじぶんのおかげだ。

寝ちまってもいい、さぼってもいい。ずっと努力し続けている必要なんかないのだと思う。「あきらめない」で寝てればいいんじゃないか。「まっ白にならない」で、さぼっていればいい。余計なことにあくせくしながら、あきらめてるのが、いちばん「なんとかなる」から遠いのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 目の前の穴を掘るよりも、周りをぼんやり眺めていよう。