若い時にブログはやってたりしてたけど、流行りだったり友達との共有ツールだったりで、真面目なこともくだらないことも書いてみてたけど、それなりに歳も取って気付けばブログから遠のき。


でも基本的に自分が考えたり感じたことはなにかに残したいってゆー人だから、またブログをやってみようと。



なぜ残したいかって。
わたしがわたしであるために。



わたしの家族は父、母、兄、私、弟の5人家族。
物心ついた頃から実家で自営業をしていて
当時は爺、婆も同居していた。


それなりに生まれてそれなりに育ってきたけど
爺がアル中、婆は世話を見ずたまに家出。
それでも安定しているときは爺婆も良い人で
幼児のわたしからしたら普通の優しい世話してくれる祖父母って感じ。



ただ、母への負担は今思えば凄くて、大変だったんだろうなとは思う。
あくまで今思えばね。
当時は八つ当たりの矛先が私で、私がお母さんが怖くて苦手だった。
兄や弟には怒らないのに。
兄はわたしより5個上なので当時はそれなりに口答えもするし
弟は末っ子ならではの純粋な平和主義の子なので
八つ当たりしやすいのは私だったのかも?



私は小さいとき、比較的に大人しくてワガママも言わない好き嫌いもない、結構育てやすかったと思う
勝手に育ってる感じ。
ほんと典型的な「真ん中っ子」って感じ。



ただ、やっぱりわたしも子供だったから、お母さんに褒められたい、優しくされたい、必要とされたい、と思ってるわけで。



だけどお母さんも爺婆の事や自営の事や、切羽詰まってる毎日で余裕がなくて、子供ながらにそれを感じていた。
だから、その余裕の無さで私に八つ当たりされることも、仕方ないと思っていた。
兄や弟には八つ当たりしないのも、私より兄や弟が大切だからなんだろうなと思っていた。
わたしがワガママや迷惑をかけたらお母さんが困る、怒るから、何も言わないようにしなくちゃと心がけていた。




ああ、こんなの嫌だ!と感じるより
そうするしか無い。ってゆー考え方が知らぬ間に身についていったのを覚えてる。
場面場面では悲しい寂しいって気持ちはあったと思うけど、慣れなのか、仕方ないとゆー気持ちが先にたって、すごく苦痛だと感じた記憶はあまり無いかも?




兄や弟のことは嫌いではない。
(兄に関しては強気だし離れた年上だから少し苦手な部分はあったけど嫌いでは無かった)
父は出張ばかりでほとんど家には居なかったけど、唯一の娘だからなのか、私には甘かったし優しくしてくれた。だからと言って父に頼ったり味方にすることも無かったけど。
でも普通に好き。


でもお母さんだけは、苦手だった。
今日は八つ当たりされないかな?怒らないかな?
上記2つが無く終わる日は凄く安心した。
迷惑かけなくて良かった、お母さん大変じゃなくて良かった。
嫌いじゃなくて、苦手だったと思う。
お母さんは悪くないと思っていたから。
お母さんは大変なだけだと。
それにやっぱり子供ながらにお母さんを求めていたし、でもそれを伝えることは無かったけど。
嫌いと感じないのは、求めていたからだとも思う。





そーゆー環境だったからなのか?
形成されたわたしは
場の雰囲気を読んで調整する役であるべき。
嫌な顔をされないように自分の意見は控えるべき。
とにかく迷惑をかけないように生きるべき。





幼児なのにカナリの自己犠牲型で、それでもグレもせずそれなりに30歳まで生きてきたのは、自分でも結構凄いと思う(笑)
普通ならグレたり不良になったり反抗期やばいとかゆー人間になったりしそうだけど、自己分析はとにかく普通平凡に生きてきた方だと思う(笑)



だけど生きてる中で、幼児時代に形成された自分が時々発揮されて、自分自身が生きづらく感じることは度々あった。