住み慣れた実家から平和台に引越をして

ようやく落ち着いたと思ったら

建て直しをするとのことで

出て行かなければならないって


仕事が忙しくて休みが取れなくて

限られた時間の中で物件を探し・・・


最後は、お母さんと話し合って、

大泉学園なら、何時でも行けるから大丈夫って

言ってくれたから引越を決めて、引越をした後・・・

環境の変化からか
、チェリーのう○ちが

出なくなってしまって


母がいてくれれば安心すると

何日も泊ってくれて・・・

2週間ぶりだったかな


『お母さん、やっと出たよぉ~
』って、二人で

笑いながら話をして安心したこと。

【これが、母と話した最後の会話】

翌日 母が急死してしまった・・・。

全てを受け入れる事が出来なかったけど

母を地元に連れて帰りたいと言う想いが強くなり


覚悟を決め、この場所に引越をすることにした。

でも、不安だった。

また、チェリーの体調が壊れてしまったら

私一人ではどーしようもできない


心配は無用だったみたい


ここには、誰のニオイもないし

不思議なくらいに安心してしてくれたみたいで

こんな顔してくれた




ママが、よく遊んでくれたピンポンで遊び















2000年10月 ちぇりーと

亡き母が見守ってくれている時間でした。