サンドイッチに挟みたい具材は?

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お母さん今日は”サンドイッチデー”だそうです。これは恐らく想像ですが日付が「⓵が⓷」で挟まれていることから設定されたのかもしれません。r(-◎ω◎-) 考え中....とにもかくにもサンドイッチはかなさんもよく食べるのでちとテンションアゲっちゃう⤴⤴日ですハートワクワクしつつ何時ものごとくどんな日かくわしいことはちぃとばかしググってみます□_ヾ(^-^ヽ)カタカタ【日付は1が3で挟まれている(サンド1=サンドイッチ)ことから。

記念日を制定した団体や目的などについては定かではない。

この日とは別に、「サンドイッチ」の名前の由来とされるイギリスの貴族、第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギュー(1718~1792年)の誕生日である11月3日は「サンドウィッチの日」となっている。

サンドウィッチ伯爵はサンドイッチを発明したわけではないが、大のギャンブル好きで常にゲームをしながら食べていたことがきっかけで名前が付いたと言われている。

トマトと卵のサンドイッチ

●サンドイッチについて

サンドイッチ(sandwich)とは、パンに肉や野菜などの具を挟んだり、乗せたりした料理のこと。日本においては具材の名称を前に付して「野菜サンド」「ハムサンド」「卵サンド」「カツサンド」など、「○○サンド」の略称で呼ばれることがある。

1892年(明治25年)、鎌倉市大船の大船軒が大船駅で販売したサンドイッチが、駅弁としては日本最初とされている。

三角形に切られたサンドイッチについては、1961年(昭和36年)、東京の茗荷谷駅近くにあった「フレンパン」(婦連パン小石川販売所)が「フレンサンドイッチ」という名称で販売し始めたものを発祥とする。

後楽園球場にサンドイッチを売りに行っていた同店の主人が、「中身が見えるサンドイッチがあれば便利だな」という客の一言から考案したものである。同店がすぐに特許を取得したが、5年後には放棄したため、全国的に広まった。】ということです。Ωヾ(゚ェ゚*)ヘェヘェヘェ

サンドイッチの由来がサンドイッチ伯爵からきていることはわりと有名なs話ですが、ぎゃんぶるすきだったとはかなさんはしらなんだ汗うさぎあと三角サンドイッチが登場したのってわりと最近なんだと遅驚きました‼( ゜o゜!)えぇっ

『こんな風な野菜たっぷり歯ごたえもあって

ヘルシーで🍅の酸味がたまらんですよだれ飛び出すハート

でかなさんがサンドイッチに挟みたい具材はトマトとレタスとかの野菜系です。

そんなこんなで・・・ホイパー本日の気になったニュースはこちらです!

■埼玉栄高が不適切動画を謝罪 生徒が投稿 東日本大震災の被災者、遺族らに「お詫び申し上げます」

※イメージです

鉛筆震災ももう12年前この世代になると当時日本中がどれだけ大変だったかとか覚えてなかったりで実感もないのかもしれない。別の記事では「震災時はまだ幼かったから」と、言い訳しているようだけれどもそんなのは理由にならない。これだけ動画が溢れかえってる世界で、全く目にしてないはずがない。もしそれでも分からないならば、理解出来るまでひたすら震災当日からの全ての映像を見せたらいい。これは学校教育より本人の資質の問題。ネットリテラシー大事だけれど、サッカー部そのものの活動停止とかは不要だと個人的には思うけれど該当生徒に対しては処分した方が良いと思う。社会性を身につけられてない年齢だとしても3・11のタイミングでよくこんな非常識な事を言言えると呆れてしまう。この事を知った多く人が思うとは思うが本当に東日本大震災被災者を「冒涜」している。これだけ炎上動画が世間をにぎわせている状況がわかっていない、さらに被災した人たちの感情を慮ることができないのは、言い方は間違っているかもだけれど、もはや人として何か欠落していると思わざるを得ない。あと蹴るとか殴るとか物理攻撃はもちろんダメだけれど、人の心を傷つける言葉を投げるのも絶対にダメなんだと、まだ子供が小さいうちからしっかりと教えていかないといけないんだろうなと思った。それにSNSはスマホを買い与えた親の責任。学校で与えたものなら学校の責任もあるが、スマホは親が買い与えるもので管理について学校は一切責任はないし、教育する必要もない。校長ではなく、この生徒の親が何らかの方法で謝罪する姿を見せるべき。それがこの子のためにも親のためにもなると思う。謝罪したから終わりで済まない内容。この部員たちはサッカーや好きなことできる喜びを分かっていない。自分は関係ないとか思っている人間が多すぎる。だから悪質動画を平気で投稿できるのだと思ってしまう。未熟という一言に尽きる、ただ管理監督する大人の隙をついて子どもはこういうことをするものだと思うけれど、何でも大人がケツを拭いてくれるものばかりじゃない、その代償は何者でもない本人らが負わなければならないことは覚悟しなければならない。この代償は途轍もなく大きいと思う。人の痛みや常識を学ぶ機会は沢山あったはずなのに学ぶことを放棄して来た結果。今後もこういう子増え続けるのかと思うと少し怖いと感じた。