次の世代にも忘れてほしくない地元文化は?
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「しまくとぅば」とは「島言葉」、すなわち沖縄の島々で伝えられてきた言葉(琉球方言)という意味である。沖縄県では戦後まもなくまで強力な標準語励行運動が実施され、伝統的な言葉の衰退が本土以上に進み、高齢層以外の日常会話は俗に「沖縄弁」「沖縄訛り」と呼ばれる「ウチナーヤマトグチ」が主流となった。
郷土文化を見直す機運が高まるなか、島言葉の現状を危惧する声も強くなり、「沖縄県各地域のしまくとぅばを次世代へ継承していこう」などの趣旨で記念日が制定された。地域の言葉を奨励する条例・記念日の制定は、日本国内で初の試みであった。】(。 ・д・)-д-)ふむふむ、なるほど
島言葉とか、その島人だけ通じる言葉があるってなんだか神聖で素敵ですね
ちなみにしまくとぅばの「しま」は村落、島をあらわすだけでなく「故郷」の意味も持つようです。φ(゚v゚*)メモメモ♪
ほいでかなさんが次の世代にも忘れてほしくない地元文化は、父君の地元には夜の街並みをロウソクで照らす「燈花会」というお祭りがあります。かなさんも何度か行ったことがことがありますがロウソクの灯に照らされた古い町並を歩いているととても幻想的で心洗われます。🕯それに地元の人がサポートとなりボランティアで会場の設置・運営しているらしくまさに地元の祭りでいつまでもつづけてほしいです。*:.。☆..。.(´∀`人)
そんなこんなで・・・ホイ本日の気になったニュースはこちらです!
■なんで野球部の応援のために吹奏楽部が客席で応援するの?》甲子園応援を「練習」を理由に見送った聖光学院ブラスバンド部の決断と影響
※イメージです
学校教員を名乗る人物のツイートが混乱を招いていると思う。甲子園で演奏している吹奏楽部員が、いやいや演奏しているように受け取らる。正直このような事まで問題になるのかと思った。同じ学校が晴れ舞台で戦っている時に応援すると言う気持ちはもはや無くなったみたい。自分なら同じ学校のスポーツ選手の応援になるなら、理屈なしで応援したいと思う。個人の意見が必ずしも、良いとは思えない。発信するのはいいけど、そんな事でいいのとは感じる。個人的にはたった3年間しかない時間に思い切り同じ空気すって同じ感動を味わうのも悪くないもだと思うし、批判されるような事ではない。それぞれの選択で良いと思う。一方で甲子園での演奏は、それはそれで輝かしい舞台の一つではある。それぞれの都合に合わせた選択をすれば済む話で、他からの圧力を気にせず自由に選択できるようになれば良いとも思う。自分たちの独自の活動を優先するのも素晴らしいことだし、また甲子園のスタンドという環境で状況に応じた演奏をする事にも楽しさとかあるとも思うし各校その都度部員たちの意見を尊重して選んでいって欲しい。それに無意味な事が後になれば意味のある事になっていたりする。嫌々行った応援、汗だくで倒れそうになった応援演奏、勝った負けた泣いた。これは野球部の枠を超えた学校の一体感だと思う。間違いなく青春の真っ只中の1ページでありどんな体験も後の人生の糧や勲章、はたまた良い思い出になると思う。それに事実として、吹奏楽のコンクールよりも甲子園の方が認知されてる吹奏楽部もからそういう目立つ所でやりたいと考えるのも自分達主体で動きたいと考えるのも正解だと思う。けれど学校側からしたら学校の名前を売り出しやすい野球部の応援に行けって流れにしたいのかもしれない。あと高校野球を見ていて甲子園の吹奏楽の応援は楽しいけれど、それは吹奏楽の子たちが楽しそうだからであって、複雑な気持ちだったらに部員たちも楽しめないと思う。なので、この学校の先生と生徒たちの演奏会と甲子園応援の折り合いがついてよかった。野球の甲子園が決まる前から願いを込めて企画してきた演奏会だし、吹奏楽の規模も大きく距離も近い大阪桐蔭とは話が違う。なにより野球部と吹奏楽部は対等なはず。