あなたが健康を願う人はだれ?
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お盆に迎えた精霊をふたたび冥府に返す精霊送りの意味を持つ、あくまで宗教行事である。
市内の川沿いや御所など開けたところから遠望することができ、関係者は静かに手を合わせ先祖に思いを馳せて欲しい、としている。
①平安時代初期に、弘法大師(空海)が始めたとする説。 かつて大文字山麓にあった浄土寺が大火に見舞われた際に、本尊・阿弥陀佛が山上に飛翔して光明を放った。この光明を真似て実施した火を用いる儀式を、弘法大師が大の字形に改めた。
②室町時代中期、足利義政が始めたとする説。 1489(延徳元)年、足利義政が近江の合戦で死亡した実子・義尚の冥福を祈るために、家臣に命じて始めた。大の字形は山の斜面に白布を添え付け、その様子を銀閣寺から相国寺の僧侶・横川景三が眺め定めた。
③江戸時代初期に、近衛信尹(のぶただ)により始まったとする説。 1662(寛文2)年に刊行された「案内者」には、「大文字は三藐院信尹(さんみゃくいんのぶただ)殿の筆画にて」との記述がある。信尹は本阿弥光悦、松花堂昭乗とともに当代の三筆といわれた能書家だった。】ということでした。Ωヾ(゚ェ゚*)ヘェヘェヘェ
五山送りはニュースでしが映像でしか見たことないけれどかなり壮大で幻想的な光景だっ印象があります。実際に生で宮良ものすごく感動する思います。゚+。感━。゚(p'∀`゚q)。━激。+゚
でもってかなさんが健康を願う人はといえば、母君と言いたいですが我が家の母君はこちらが願わなくても今もところはムダに元気なんで心配はしてません|●-∀-|○_ _|ゥムo
で願うとすればインコの藍之介さまと藍さんの健康です。特に藍之介様は我が家にやってきてもう少しで3年近くなりインコの寿命を考えるとおじさんに近づいているので少し心配です。(;´・3・`)心配だなー
そんなこんなで・・・ホイ本日の気になったニュースはこちらです!
■若者の半数超「盆踊り経験ない」 近隣クレームで廃止の動きも
※イメージです
言っては悪いけれど、たった一日の盆踊りにクレームつけるような人間は心が狭いと思う。これだけ人間関係が薄くなっている殺伐とした世の中で非常に生きずらくなっている。会社の付き合いも必要最低限、ご近所付き合いも必要最低限。友達も社会人になると作るのが難しい。だからこういうイベントを行うことで、町の活性化や交流するキッカケができるのは有意義なことだと思う。合理性を求めるが何でもかんでも無くせばいいわけではない。それに地域のイベントは地域の人が繋がってやっとできるもの。地域の方が繋がっていれば、イベントだけではなく、災害等の非常時にも連携ができ、普段の声掛け、見守りもでき、そのつながりがより良い「地域づくり」になっていくはず。確かに若者はその「つながり」が煩わしいと感じたりしてそれがクレームとなって反応があるかもしれない。ただ、それに負けてしまったら、本当に「つまらない地域」になってしまうような気がする。ただ確かに興味が無ければ近所迷惑で煩いだけかもしれないけど踊ってみれば楽しいかも知れないし、年代によっては懐かしいと思う人もいる。町内会主催とか市や町主催とか色々ある。日本も段々個人主義化してきているのも時代の流れでありやりたい人達だけで、こじんまりと大音量を出さず開催するとか工夫が必要かもしれない。参加したくない人達を強制しない様にも配慮は必要だとは思う。あと盆踊りだとか、除夜の鐘だとか、急に始まったことならともかく、地域で古くから行われてきていることに、後からやって来た者がクレーム。永遠に続く事でもないし、季節限定の風物詩。こういう人間は、雷の音や雨、風の音にも我慢できないのだろうかと思ってしまう。夜遅くまで騒ぐとか、不良が集まるとかなら、地域の実行委員会と警察が協力すれば排除できる。クレーム対応が面倒だから止めるというのは簡単だけど寂しいことだと思う。それと実際のところは賛否はどうなのか?300人参加の盆踊りに数名のクレームなら民主主義的に多数決なら開催するべきだと思う。クレーム入れないが開催に反対の人が圧倒的に多ければ仕方ないのだが一部の声大きい人の意見がまかり通るそれは民主主義ではない。少数派の意見が言いやすくなった事は良いと思うけれど、基本的に民主主義なので『多数派の意見』で良くないかと思う。