何分までだったら待ち合わせで待てる?
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ハチ公は1923年(大正12年)生まれの秋田犬で、翌1924年から東大農学部の上野英三郎博士に飼われた。博士の存命中は渋谷駅まで博士の送り迎えをしていたが、1925年に博士が急死したあとも毎日駅前で主人の帰りを待ち続けた。
その一途な姿から忠犬と呼ばれるようになり、1934年(昭和9年)に渋谷駅前に銅像が建てられた。銅像の除幕式にはハチ公自身も出席したが、翌1935年に死んでしまった。
ハチ公の銅像は第二次大戦中に供出され、現在のものは1947年(昭和22年)に再建されたものである。ハチ公の日には、渋谷及び生地の秋田県大館市で慰霊祭が行われる。】ということでした。Ωヾ(゚ェ゚*)ヘェヘェヘェ
ちょうどつい先日TVでハチ公のことやっていてハチ公は実はご主人様ではなく駅の隣にあった屋台のやきとりを目当てで渋谷駅に通っていたという身もふたもないことをやっていました (; ̄Д ̄)なんじゃと?でもかなさんはハチ公はご主人様に会いたくて毎日通っていたと信じるワン
でかなさんが何分までだったら待ち合わせで待てるといえば何も連絡がなければいくらまてても30分が限度ですかね。
そんなこんなで・・・ホイ本日の気になったニュースはこちらです!
■小6と大3の6%超、「親やきょうだいの世話や家事」…授業中に寝るなど学業に悪影響
※イメージです
共働きが増えて、子供に負担がいっていないか心配になる。もちろんそれぞれの家庭の事情があるとは思うが、本当に夫婦2人が働かないと食べていけない人って、そんなにいないと思う。夫だけの給与で満足せず、より上を目指すから共働きが必要になる。当然より上の環境を目指すことは当たり前だとは思うけどそれに重点を置き過ぎて、子供に負担をかけているなら、その働き方が本当にいいのかもう一度家族で話し合うべきだと思う。ただ思うのがヤングケアラーも、育児や介護を家族みんなで支え合ってる中で、子どもにもできることは手伝ってもらおうというスタンスならそれほど辛くはないかもしれないけど、一人で担当してる状況はかなり心身ともきついものだと思う。家族や、相手の理解のない場合は特に。母親が遊び回って上の子に幼い兄弟の世話を丸投げして、何かあったら上の子を叱り飛ばすとか起こるかもしれない。しっかりしているように見えても小学生は小学生、重荷を背負わせる年齢ではない。思春期の不安定な心身状況で家族のケアをする大変さは計り知れない。国としてもそういう児童を支える仕組みを早期に作ってほしい。また、そのような児童を早期に発見出来る仕組みが何より必要。医療、福祉、地方が連携して取り組んでいく必要がある課題。しっかりと声にして形にしていく必要がある。けど今問題なのは最近はお手伝いとして上の子に少し下の子を見てもらっただけで「ヤングケアラーだ」と指摘されるようになっていることだと思う。家族というチームで生活する以上、ある程度の「お手伝い」「助け合い」は必要である。まずは自分のことを自分で出来るようになる。次に、困っている人(自分のことが自分でできない兄弟や家事に追われる親)の手助けをする。そうやってうまくチームを運営することで社会に出たときの助け合いが出来るようになるのだと思う。本当の意味で問題になる「ヤングケアラー」は「主となって介護、育児をしなければいけない」状態にある子供のことだと思う。言葉のインパクトばかりが先行し、本来支援が必要な対象から話がずれてしまわないかと心配になる。例えば、「祖父母の介護を一人で行い、学校に通学できない。」「弟妹の面倒を見るため、学校に通学できない。」などといった学校に通学できない状況であれば、改善すべきだと思う。しかし、「学校から帰ってきてから、祖父母の夕食時に食事介護している。」「学校から帰ってから弟妹の相手をする。」という状況ならば、個人的には特に問題視する必要はないと思っている。どの程度の負担かによるが、小学6年生や中学生にもなれば、家族内で一定の家事をするのは当然である。昔から家事をお手伝いをすることは普通に行われていたことであり、学校に通学できないなどの過度な負担を強いるものでなければ、許容すべきだと思う。そして、家庭内での家事などの経験が、将来、大人になった時の生活力にもつながるとも思う。