お団子作ったことある?
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この伝統的な行事は米の豊作を神に祈願するために催されてきた。秋の10月16日または11月16日には、神が山へ帰る日として同じように団子を供える。
日本では古来から山に神が住んでいると考えられてきた。これらの日には杵と臼を使って餅つきをし、餅をつく音で田の神に山と田を行き来する日であることを知らせていた。
そして、できた餅を小さく丸め、16個の団子を作り供えた。この団子のことを「十六団子」という。読み方は「じゅうろうだんご」または「じゅうろくだんご」。この団子は行事食として家族でも食べる。】ということです。(^。^;)ヘェーソーナンダ
月見団子と16夜のお月見は日本が誇る美しい伝統行事ですよね*:.。☆..。.(´∀`人)
こうのようは日本独特風習はずっと受け継いでほしいです。🎑
でかなさんはお団子作ったことあります。フフッ(´ー+`)キラッ小学校のころ確か最初の家庭科の調理実習でしらたまだんごをつっくたおぼがあります。ぐつぐつぐつ・・・(´・ω`・)ノ|小鍋|~~
初めての調理実習だったんで緊張しながらもみんなでワイワイ楽しくお団子を丸めていたと思いまいます
そんなもんで・・・ほいでもって・・・ホイ本日の気になったニュースはこちらです!
■不登校になった長男 オンラインゲームに没頭し昼夜逆転の生活に 悩みを共有できず孤立した母は「分かり合える人がほしかった」
※イメージです
行政がフリースクールの運営に協力して、学校以外の場所が作られればいいのにと思う。フリースクールのハードルが下がって、子供が多感に時期に自己否定することなく社会に出るサポートできればいいなと思う。私自身子育ての経験がないので大きな事は言えないかもしれないがが、ちょっとした事で不登校になるのは珍しくないし、また親にとっては自分の子どもが不登校になりよその子と同じようにできないんだと知るのはツライことだと思う。自分が歳をとるたびに、この子は私がいなくなったらどうなるんだろうと心配になるはず。我が子以外みんなが順調に成長の階段を登って行っているような感覚になるし、自分を責めて家事や何やかんやが面倒になって、子どもが普通と一緒じゃないからだって情けない気持ちも湧いてきて優しくできなくなっていく場合もあるかもしれない。叱れない親がほんと多いように思う。共通するのが、ゲームを取り上げる事が出来ない、叱れない、理論でぶつけて理解させようとする。これ子供に理論を話した所で、本人がゲームやりたいから意味無いようにも思う。その反面、一外には言えないがちゃんとルールも守ってゲーム時間、勉強時間、学校時間とちゃんとしている親はちゃんと教育もできているようにも思う。昔から、不登校やいじめは存在していたが、近年増加傾向になっている。決して親の責任では無いと言いたい気持ちは有るが、子は親の鏡という言葉は当てはまると思う節もある。言い方は悪いが子供の為にと綺麗ごとを言えば言うほど、自身の保身に走っているのが実情だ思う。世間体が気になってしょうがない。それを子供が敏感に感じ取ってしまうから、逃げ場を求めた先がゲームという仮想空間なのかもしれない。人間は何かしらのストレスがあるから他のものに没頭する。現実が充実してたら閉じこもったりしないはず。まずは本人から問題の根本を引き出すのが大事。世の中の当たり前が人によっては当たり前ではない。もし子供が迷っているなら親も一緒に迷って色々と探ってもいい。「放置」と「見守る」というのは全然違う。子供も1人の人間。人の生きる道に正解なんてない。その人の正解を見つければいい。親が経験してきた人生が必ずしもその子の正解ではない。とにかく放置ではなく一緒に悩む。誰でもつまづく時はある。大事なのは一人の人間として子供と向き合い、テレビを消して笑顔で食卓を囲むだけで状況は変わるものだと思う。親も子も分かち合える人や場所が必要と感じる。誰か味方になってくれる人がいればそれでいいのかもしれないと思う。