生きてると実感した瞬間は?

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👩今日は"いのちの日”だそうです。今日は私たちが決して忘れてはならい「東日本大震災」が起こった日です。想像を絶する災害に見舞われ津波により多くの命が奪われたました。そんな日を命の日として設定したんだと思います。改めてどんな日か詳しいことはググってみます。ビックリマーク【「災害時医療を考える会」(Team Esteem)が制定。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では多くの命が失われた。命の尊さを思い、命の大切さを考え、震災で学んだことを風化させることなく災害に備えることが目的。

災害時医療の改善を図るとともに、9月1日に防災訓練が行われるように、3月11日には健康、医療、災害時の体制などを考える機会を設けたいとの思いから記念日とした。

記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。この日を中心にシンポジウムの開催や標語の募集などが行われる。

いのちの日

同会は、東日本大震災の際に自ら被災地に向けて、心と体の健康回復に関して何らかのアクションを起こした医療者、ジャーナリスト、政治家、大学教員、災害ボランティアなどで構成されている。災害において医療に関係する問題を解決するために、何ができるのかを考える人たちの会である。

関連する記念日として、9月1日は関東大震災が発生したことに由来して「防災の日・防災用品点検の日」となっている。また、12月1日は同じ「いのちの日」だが、こちらは厚生労働省が自殺予防活動の一環として制定した記念日である。

●東日本大震災について

東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、Great East Japan earthquake)は、2011年(平成23年)3月11日14時46分頃に発生した日本国内観測史上最大規模の地震と津波、火災などによる災害である。

この際の三陸沖の太平洋を震源として発生した超巨大地震は東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん、2011 earthquake of the Pacific coast of Tōhoku)と呼称される。

地震の規模はマグニチュード(M)9.0で、最大震度は宮城県栗原市で震度7が観測され、東京や横浜、千葉などで震度5強が観測された。この震災には地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害を含む。

この震災により東北地方を中心に12都道府県で約18,000人の死者・行方不明者が発生した。これは明治以降の日本の地震被害としては関東大震災、明治三陸地震に次ぐ3番目の規模の被害となった。】ということです。(。 ・д・)-д-)ふむふむ、なるほど

震災が起こって今日で11年たちました。復興はまだ道半ばです。震災を経験された方も高齢化していき少なっていってますが、この震災を忘れることなく若い世代が震災の恐怖と命の大切さ次の世代にを語り継いでいかなかれなばけないと思います。改めて震災で亡くなられた方のご冥福と被災者の方に心よりお見舞い申し上げます。┏〇ペコッ

で、かなさんが

生きてると実感した瞬間は、今まで何回か入院したことがありますが退院するとき病院からd外に出てシャバの空気を吸ったときに「ただいま無事生還しました(`・ω・´)ゞハッ!」って感じで生きてるなぁって実感します。ニコニコラブラブ

そいでもって・・・ハイパー本日の気になったニュースはこちらです!

 

■新聞協会、実名報道の考え方公表 「記録は責務」

※イメージです

鉛筆いつも思うが被害者の報道は実名だけど、被害者の関係者による証言報道は匿名という矛盾には疑問を感じてしまう。またなぜ加害者のプライバシーばかり守られるのか、こちらも並列で議論すべき。また加害者の実名が出ないことがあることも問題だと思う。出たり出なかったりで基準が全くわからない。成人の加害者が実名報道される場合とそうでない場合の基準も明確にしてほしい。そして一番は被害者の意向に応えられているかが重要。傷を負って辛い思いをしているのは被害者とご遺族。そこは忘れないでいただきたい。被害者のプライバシーは踏みにじるのに加害者の人権は守る今の報道姿勢には理解できないものがある。また実名云々より前になぜ新聞社の社員が捕まっても実名報道されないのかについて統一見解を出してもらいたい。例を出して申し訳ないが、沖縄タイムスの社員が給付金詐欺で捕まった時に沖縄タイムスはオンラインでは匿名にして報道し、政治家や有名人は実名報道でいいけどそれ以外はダメなんだと言い訳してましたような覚えがある。新聞社の社員だって公的責任を負う立場にあると個人的には思う。報道は、私たちの心に届かなければ意味がないと思っている。事実をきちんと伝え、読者が強く感じ、深く考えるようにならなければならない。匿名で「どこかの誰かが何かをした」では事実かどうかわからないし、人の心は数字では動かない。交通事故の数字ではなく、リアルな人間の姿が見えることで、事故の悲惨さを感じ、事故防止の動きにもつながるはずだと思う。そして嫌がられる取材でもしなければならい場合がある、誰かを傷つけることもある。それでもなお意義のある報道かどうかを吟味する必要がある。マスコミ・メディアと共に私たち読者側もまた学びと成長が必要だと思う。