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「バレンタインデー(Valentine's Day)」の歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされる。当時、ローマでは2月14日がすべての神々の女王であり、家庭と結婚の神でもある女神ユーノーの祝日であった。翌2月15日は、豊年を祈願するルペルカリア祭の始まる日であり、男女を結び付けるイベントがあったこの祭りが現在のバレンタインデーの源流である。
また、2月14日は兵士の自由結婚禁止政策に反対していた聖バレンタイン(St. Valentine)の殉教の日でもある。一説によれば、彼は禁令に背いて恋人たちの結婚式を執り行ったために捕らえられ、西暦269年のこの日に処刑された。「バレンタインデー」の名称は、彼の名前に由来する。
この日は世界各地でカップルの愛の誓いの日とされる。ヨーロッパやアメリカでは男性から女性に花やギフトを贈ったり、大切な友達にカードを贈ったり、夫から妻へアクセサリーを贈ったり、子供同士でキャンデーの交換をしたりすることが習慣になっている。世界的に見ると日本とは違い、男性から女性に贈り物をする日として広まっているようである。
女性が男性にチョコレートを贈る習慣は日本独自のもので、1958年(昭和33年)に製菓会社メリーチョコレートカムパニーが行った新宿・伊勢丹でのチョコレートセールが始まりであるという説がある。1年目は3日間で3枚、170円しか売れなかったが、現在ではチョコレートの年間消費量の4分の1がこの日に消費されると言われるほどの国民的行事となった。
日本でのバレンタインデーの始まりについては、メリーチョコレートカムパニーよりも前に神戸のモロゾフ製菓が行ったという説もある。1936年(昭和11年)2月12日に外国人向け英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』に、「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を既に掲載していた。これに由来して、神戸が日本のバレンタインデー発祥の地とされる。
「バレンタインデー」に関連する記念日として、2月14日は「チョコレートの日」「ネクタイの日」「ふんどしの日」「イケメンの日」「恋の神様の日」「日本酒女子会の日」にもなっている。また、1ヵ月後の3月14日「ホワイトデー」は返礼のプレゼントをする日となっている。】ということです。(∪・ω・)ゞフムフム*
バレンタインデーの原型はローマ時代まで遡るのですね。すごく古く神様に捧げる神聖な祀りだったとはじめてしりました((*´∀`*))エヘヘッ日本ではお菓子メーカーの販売戦略の一環のなのはもう承知の事実なんですよね
それはそれで、かなさんのバレンタインエピソードは、小学生の頃仲の良かったクラスメイトの男子に家まで来てもらいチョコをあげたことですね(///∇///)キャッあとでちゃっかりホワイトデーにお返しはいただきましたがね初々しいバレンタインのおもいでです(〃∇〃) てれっ☆
今じゃ会社でも義理チョコさえ用意しなくなってしまいましただってこれが色々面倒なんだもん
もうすっかりアローンのかなさんには関係ない日になってしまいました
でもって・・・ホイ本日の気になったニュースはこちらです!
■「#口を開いたビンドゥンドウン」に中国SNSで失望の声が広がる 大会側は「偽物」と否定
※イメージです
中国は度々人間の顔が出たドラえもん擬きやミッキーマウス擬きがいたから、企画者が喋ることに対して、何の違和感も持ってなかったのかもしれない。着ぐるみの頭を取って記念撮影しなかっただけ、五輪仕様に成長したのかもしれないと思う。ただ、ビンドゥンドゥン場合、喋らないキャラの方が正解だったと思う。昔NHK教育放送の「できるかな」のノッポさんとゴン太くんは喋らないで、“つかせのりこさん”の天の声だけで番組成り立っていた。最終回でノッポさんが言葉を発した時はすごく驚いた覚えだある。意外とおしゃべりだったので喋らない設定は正解だったと思う。逆に同じNHK教育放送「お〜い、はに丸」は喋らないと、ただの何も知らない泥人形で怖かったと思う。そもそも「喋るのは可か不可か」の設定が明確に決められてなかったと思う。それで"中の人"は単にサービス精神で質問に答えてしまったのかとしれない。着ぐるみ文化が 日本ほど浸透してないせいだとも思う。日本だとこういうお祭り騷ぎの時は、意外とダンディとかまさかのオジサマ系とか、多少なりともプラス思考系になり得る茶々が付くことが多い気がするけど、幻滅したって突き刺さるコメントは何処のものなのか気になる。それに日本だと着ぐるみ文化に理解があって、中身が美女でなくても、着ぐるみを着ての演技が大変だと周知されている所があるから、頑張っている人に対する応援という意味でも暖かいコメントが付くとか、中の人に対して直接的なコメントとかが飛ぶ感じがする。というよりは幻滅するほど希望の光をそれに求めていないと思う。あと中国もどうせならもうちょっとだけ気をきかせて、外見のイメージに遠くない感じの声色を使えば そこまで幻滅されることもなかったかもしれないと思う。