クリスマスツリーの写真見せて
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このクリスマスツリーは横浜の外国人船員のためのものだった。ただし、この年よりも前に日本においてクリスマスツリーが飾られていたという情報もある。
株式会社明治屋は、1885年(明治18年)に横浜・万代町にて創業した会社で、現在は東京都中央区京橋に本社を置き、食料品・和洋酒類の小売・輸出入、船舶に対する納入業を営む小売業者である。
1900年(明治33年)に、同社が東京・銀座に進出すると、銀座のクリスマス飾りは広く行われるようになり、同じ頃には、神戸でクリスマス用品の生産が始まった。
日本のクリスマス行事は、1928年(昭和3年)の朝日新聞紙上で、「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれるほど定着していた。
●クリスマスツリーについてクリスマスツリー(Christmas tree)は、クリスマスのために飾り付けられた木である。旧約聖書の『創世記』に登場する「知恵の樹」の象徴とされる。別名の「聖樹(せいじゅ)」とも呼ばれる。
クリスマスツリーには常緑の針葉樹の主に幼木が用いられる。アメリカでは、年間数千万本もの生木のツリーが流通しており、最も生産本数が多いオレゴン州だけでも700万本を超える。これら商業目的で生産されるツリーのほとんどは、規模が大きいため森林ではなく農地で生産されている。】とうことです。へぇ~_〆(・∀・*)日本明治時代にはもうって飾られていたんですね意外に歴史は古いのねヽ(o♡o)/エッソーダッタノにしてアメリカニューヨークのクリスマスツリーは何から何までほかのツリーと規模が違いますよね凄すぎてため息しかでませんOoウットリOo(・´з`・)ゞ
でかなさんはクリスマスツリーの写真は持っていません子供のころ父方の近くに住んでいた祖父母の家で毎年ツリーを飾っていました。
室内用なので小さいものなんですが1時間ぐらいかかって完成させ最後にライトをつけた時の満足度の嬉しさはたまりませんでした
(★*0v0*)♪+゜
『昭和時代の家用の🎄は大体こんな感じでした』
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■歌舞伎町「トー横」で少女17人一斉補導…私服警官120人投入
※イメージです
有象無象が歓楽街に集うのは当然のことだけど、取り締まりをしても結局は犯罪を誘発する地域であるのは変わらない。都市開発で設計する段階で、こういった子供たちが集まりにくいように考えないいけないと思う。人の流れが滞ったり、死角が多いとか、ひとつ通りを抜ければ賑やかな場所につながってるとか、そういう所には老若男女問わず怪しげな人が結構いてる印象がある。交番を増やして監視カメラを設置して、暗がりを街灯で照らして、区が飲食店の統率をしっかりしないと意味がないと思う。一つ勘違いしてはいけないのは補導したところで家庭環境の問題で外に出ているのであればまた同じことが起きる。問題なのは次どこで集まってしまうかもっと危険で警察の目が届かない場所では結果的には意味がなくなってしまう。補導したら家に帰すより施設でケアしてあげてほしい。何を感じているのか聞いてあげてほしい。補導して家に帰すだけなら意味がない家に居たくない理由があるからここにいる子達が沢山いると思う。逆にここに居れなくなったらもっと危ないことに手を出す子達もいると思う。困窮してない家庭の子供たちにお金とか何百億もかけてクーポン配るとではなく、同じお金かけるな、こういう家に居場所のない、心荒れた子供たちの救済に使って欲しい。警察もだけど、福祉と連携して子供ために税金を使って欲しいと思う。子供だけが悪いのではなく親にも原因があると思う。居場所があれば子供は元気になれる。子供が大変だからと子供に給付金ばら撒いてもダメ親が遊びに使う可能性もある。家庭環境に重大な問題があるなら、児相の管轄かもしれない。一人一人の話を、じっくりと聞いて場合によっては、施設に入った方がいい場合もあると思う。そういう子を放置すると、犯罪の手足となるだけだと思う。補導して家に強制的に帰すだけではなく本当の問題点を洗い出し子供達が健全に生活出来るように導ける体制作りが必要だと思う。