自転車で行きたい場所は?
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”今日はサイクリングの日”らしいです。自転車でなくサイクリングと言うのが中々ミソですね。詳しいことはちとググってみます
【公益財団法人・日本サイクリング協会(Japan Cycling Association:JCA)が、創立45周年記念事業として2009年(平成21年)4月に制定。
1964年(昭和39年)のこの日、同協会が文部大臣から公益事業を行う財団法人として認可され設立された。
人がこぐことで走行する自転車は、CO2などの温室効果ガスや騒音を出さず、自然環境にやさしい乗り物であり、また、健康の維持・増進への効果が期待できる。そんな自転車の積極的活用の推進を図り、サイクリングに対する関心と理解を深めることが目的。
サイクリング(cycling)は、自転車に乗ること、スポーツである自転車競技などを意味する。日本では、レクリエーション、スポーツとして自転車に乗ることを指す場合が多い。
1970年(昭和45年)に「自転車道の整備等に関する法律」が成立したことで、「サイクリングロード」と呼ばれる自転車専用道路などが建設されるようになった。これは、自転車の通行の安全を確保し、自転車や歩行者の交通事故を防止することが目的であった。各地にあるサイクリングロードは、河川敷や公園、鉄道廃線跡などに設置されている。安全に走れること、美しい風景を楽しめることなどから人気が高まり、観光にも利用されている。】ということですへぇ~_〆(・∀・*)。なんかそういれば最近自転車に乗ってねぇわ。゚(´^o^`)゚。健康のためたまにが自転車でサイクリングもいいかも・・ねε=(*゚ё゚)ノ
でかなさんが自転車で行きたい場所ですが、沖縄の種子島を自転車で一周してみたいですε≅(◌∀◌)
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※イメージです
個人で何を思おうかは自由だとは思う。しかし、公人としてこの発言は頂けない。種の保存~て、私なら恐れ多くてこんな言葉使えない。動物ならその理論は通ずるかも知れない。しかし、人間はそれだけでは無い。”考える葦(あし)”と言われるように、子供を生み育てるだけの存在では無い。芸術家、ファッション業界など、他の面で多大なる生産をしてる人もいる。政治家がしらないだけで普通の世界には当事者は隠して当たり前のように存在し、傷付きながら生活しているかも知れないということを決して忘れてはいけない。特別扱いをしろと言っているわけではない。結婚制度なども、ただただ、一般的な人達と同じ権利が欲しいと思っているだけでだとおもう。確かに特定の狭い視点で見れば種の保存を背くかもしれないが、それもまた種にとって自然な行為でもあるというのは間違いない、何故かと言えば種の保存を司る遺伝子の働きとは誠に不思議なもの、人知で勝手に決めた規則や規律に従うのではなく、思いもつかぬ生き残りの選択肢をなるべく多く確保しておく深淵(しんえん)なシステムなので、多分LGBTもまたその一つを担っている、つまり人類生き残りの歴史上永く続いてきた自然の行為なので、この議員さんの短絡的思考を超えたものだと個人的には思う。世の中流れも分からず自分勝手な価値判断を押し付けているようでは国民の代表の仕事ができてないと思わずを得ない。さらに言えばそもそも種の保存とは、確率や組合せの理論に基づく。それに基づき、次世代に確証されうるストラテジーをとる。哺乳類の場合、種の保存と同時に多様性も求めており、LGBTは一定の割合で現れる事も種として許容済みである。数億の精子と一つの卵子。余ってしまう個体や組み合わせによる短命やがん化等を踏まえた上での種の保存。言い変えるなら、種の保存とは、どんな人も対等であり、支え合って命を繋ぐ事。それくらいの知識は備えてもらいたい。
💡参考
【考える葦とは】 17世紀フランスの思想家パスカルのことば。彼は代表作『パンセ』の有名な断章の冒頭で、「人間は自然のなかでもっとも弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。だが、それは考える葦である」と述べている。広大無辺な宇宙に比べれば、人間は無に等しく、「一茎の葦」のごとく弱く悲惨な存在にすぎないが、それは「考える葦」であり、思考によって「宇宙を包む」ことができる。ここに人間の尊厳があり、偉大さがあるという。このような偉大と悲惨、無限と無という相矛盾しあう二律背反のなかで、揺れ動く人間の存在を、パスカルは「考える葦」ということばで象徴させているのである。なお、この句は聖書の「傷ついた葦」(「イザヤ書」「マタイ伝福音(ふくいん)書」)に由来する。 [日本大百科全書] |