【あらすじ】

修二(亀梨和也)と彰(山下智久)が信子(堀北真希)をプロデュース!修二たちへの嫌がらせの真犯人が信子の唯一の友達蒼井かすみ(柊瑠美)と判明。修二は信子を傷つけまいと事実を頑なに伏せる。しかし蒼井は修二の優しさや想いを利用し、3人にじりじり接近。蒼井はプロデュース作戦に参加したいと言い出す。秘密を守り通したい修二は要求を受け入れる。修二、彰、信子の3人は蒼井の強引なプロデュース作戦に振り回され…。

 

『感想』

見終わった後何かジーンとくるものある第9話でした。今回のテーマは『崩壊と再生』はだと筆者的に的思いました。友情とか、ヒトとか色々なモノが崩壊し再生した話だった感じた。

またかすみとの決着がつく話でもあった。蒼井かすみとは言ってみれば修二たちがこれまで対決した「悪意」の象徴だった。人間には「人の幸せを素直に喜べない」ところがある。蒼井はそんな負の感情の象徴であり、常に被差別階級を目の見えるところにおいて安心したがる大衆の象徴であり、そして、状況をメタ視する力を悪用する「もうひとりの修二」でもある。

結局、かすみは敗北する。修二にではなく、自分にだ。かすみの「修二たちの友情ゴッコがむかつく」「凡庸な自分を覚えておいてほしい」という欲望は、決して修二たちを追い詰めることでは解消しない欲望だったのだ。だから結局、蒼井かすみは「取り返しのつかないところ」まで行くしかなかった。

物語は蒼井かすみを一度殺すそして夢オチという反則スレスレの技を使って彼女を呼び戻す。そう、ここで死んでしまうこと、世界を、日常を終わらせてしまうのはあまりにも安易だからだ。その底なしの空虚さを抱えて、蒼かすみはこれからも生きていかなければらなない。彼女になくて、「もうひとりの蒼井かすみ」である修二がもっていたものは何か……。それをラストでキャサリン教頭は優しく諭す。この物語は少年少女たちに厳しい。簡単にセカイを終わらせてくれない。だがその一方ではとても優しい。いい大人たちが、ほどよい距離で見守ってくれている。正直、やや通俗的なところが目立つ第9話だが、若ければ若いほど、この物語に出会えたことを大切にしてもらえたらと改め見直してみると筆者は思った。

時を戻そう(ぺこぱ風)修二たちの仲間に入ったかすみが提示したプロデュース方法はスカートの丈をかえて髪も結んで話し方も女らしくしたらどうか?というものだった。しかし評判はよくなく、普通とクラスメイトから言われてしまう。つまり欠点と個性ってのは紙一重なのだ。かすみはプロデュースを自分じゃない自分を演出するという、実はこの回で蒼井がやってることはかつての修二がやろうとしたことだ。第9話だからある意味でこの回は総集編的な作りになっていて、今までの負の部分を全部蒼井が担当しているという作りになっている。こういうことをするとどうなるのか?

観ている方はわかると思うが蒼井かすみというキャラクターが突出してしまうのだ。だからショックを受けて引きこもる信子の再生劇や修二とクラスメイトの和解といった今までなら重要だったはずのエピソードが全部かすんでしまっていると感じたことは残念だ。 それくらいかすみが放つ負の魅力が出てしまったのが、この回をバランス悪くしてしまっている理由の一つだった😟

今回の見所の一つはかすみVSまり子。 「桐谷君は、本当はこの娘とデキているんだよ」というかすみ井の挑発に、「だから?」とまり子は動じない。やはり一過して、まり子というキャラクターは、修二や蒼井が参加している「学校内のキャラ売りゲーム」の外側にいる存在なのだろう。だからゴーヨク堂で立ち読みもできれば、修二に本音を吐かせることもできる。そして蒼井の攻撃も通用しないのだ。舞台の外に立つ人間に対して、プロデューサーたちは無力なこと表す…多分💧

もう1つはかすみが嫌がらせの犯人だった事実を知ってショックを受けた信子を戻ってこさせるため、心からの言葉で頼む修二を、わだかまりの原因となったタニ以下クラスの皆は暖かく受け入れ、彼らの励ましで信子は帰ってきた。安易といえば安易だが、あえてヒネた見方をすれば、これも教室内世論を競う情報戦のうちのひとつである。誰だって悪者にはなりたくない。ここで信子の復帰に無関心を示すことは、今やクラス内での孤立を意味することになるのだ。そうした世論の動向を見きった修二は、ドブ板選挙で誠意を訴える政治家のごとく謙虚に深々と頭を下げて、見事、クラスの付和雷同な団結をうながす心地よい友情物語を大衆にギブしながら、信子励ましと自身の地位挽回というテイクを得たのである。そして、それだけの成果を得るためには、自分自身もまた提供する物語を心から信じていなければならないのだ。クラスの連中がジャッジされないのも当然。大衆とはそういうものだという諦念を前提に、より深く巧妙な人心掌握術をプロデューサー桐谷修二が体得していくのが、この『野ブタ。』というドラマの本質だという見方もできるからだ。

話はかわるが、今回色々考えてさせることが多い展開の中でヨコヤマ復帰の嘆願。忘年会の席で酔っぱらって校長に暴言を吐き、勢いで意に反して自ら辞表を提出してしまった横山先生の話はまた違った空気を感じる( ̄m ̄〃)ぷぷっ!中休み的役割があった。

その先生が辞めなくてすむようにするために、生徒たちは厖大な嘆願書をでっちあげ、ヨコヤマの辞職を食い止める。実は誰も望んでいないヨコヤマ辞職を生徒の熱意が食い止める、という安っぽい物語をあえて演出する儀式が執り行われたわけである。蛇足的に差し挟まれた、このエピソードの意味とは何か?信子復帰の流れにまで至る、「一致団結するクラスの友情と善意」の予定調和性の戯画である。わざわざかすみとの葛藤の本筋の物語が終わった後にこうした挿話を入れ、修二にふたたび「桐谷修二」のセルフプロデュースを決意させるあたりには、感動のクライマックスにあってなお、通俗性を脱臼する教室世間への乾いた批評性が生きていることが見出せる気がする。

次週いよいよ最終回を向かえるわけですが、最後に、修二の父親が突然の転勤を告げる。修二はこのまま転校してしまうのか?最終回はやはり、シリーズを通して繰り返されてきた「楽しい時間はすぐに終わる(だからこそ美しい)」というモチーフの通り「終わる」ことがテーマになるのではと思う。(_D フムフム。上記の言葉を借りれば「面白いドラマはすぐ終わる」寂しい気はしますがこの令和の時代今一度この学園ドラマの名作の最終話を見れることを楽しみにしてますヤタ───ヽ()───♪

色々思う事のある回なので筆者的分析しまてみま色々思う事のある回なので筆者的分析します。少し長くなりかもですが、最後までお付き合いい

した。少し長くなりましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました(o*_)oペコッ