【第92話あらすじ】「なつよ、ワクワクが止まらない(92)

なつ(広瀬すず)が会社から帰ると、風車で働き始めた夕見子(福地桃子)から、カウンターに座っている泰樹に似た風貌の男性を紹介される。彼こそが夕見子と東京にやってきた高山(須藤蓮)だった。なつ達は高山と会話をしようと試みるが警戒心が強く、打ち解けられない。翌朝、東洋動画に出社したなつは、下山(川島明)が原画を手伝うと聞かされる。下山は、仲(井浦新)と坂場(中川大志)の対立が原因だと言い…。

Yahoo!テレビより引用)

昭和34年(1959)年――風車に、泰樹のスタイルと似た男“高山”が登場!

 夕見子が説明するには、あの大学合格祝の写真を見て以来、泰樹を真似てヒゲをのばしているのだとか。

 

話に入り込めない雪次郎は、もどかしいものがあります。

ここで咲太郎が、声優の仕事に電話があったかと夕見子に尋ねますが。

「全くありません」ってみたいな感じで・・・空気読もうよ∑(゚Д゚ υ)アリャ

咲太郎はここで高山に気づき、なつが何者かと説明しようとしますが……。

 

「お兄ちゃん、なんというかあれ……」

「えっ、駆け落ちの相手か!」

「ばかっ!」

男は、高山昭治と説明されます。

「どこに住んでんの?」

咲太郎に聞かれて、彼はニヤリとします。

「言いませんよ……」

駆け落ち中だもんね〜。

そこは夕見子が口止めしているでしょうし、そういうことは咲太郎には期待できますまい。咲太郎ぉぉぉぉおお!

おでんの具を聞かれて、お会計は出世払いと言い出すレミ子。

彼女は雪次郎の恋人か?と話題になり、いやいや咲太郎じゃないの?となるのですが……流石に咲太郎は断念したそうです。

じゃあ二人の関係は何ぞや?という話のところで、夕見子がまたカットインしてきます。

「フッ……雪次郎とレミ子さんは同志ででしょう」

おい、なんだこの朝ドラ?

ナゼこの時間に同志を連呼しているタラー

 

さて、なつの職場では――下山が今日から原画だと張り切っております。

仕事がないし原画を手伝うと、いそいそしている下山を、周囲を不思議がります。

「どうかしたの?」

「子供が純粋に楽しめるように、アクション満載にしないと!」

下山は嘘が下手、いい人なんです。周囲の目に耐えかねて、坂場がやらかしたことを白状します。

大人も楽しめる漫画映画:坂場VS子供のために作る漫画映画:仲

坂場の主張はこうです。

子供向けの映画を成長からして見直したらば、感性が違っているはず。

そうなったとき、見直して改めて面白いとなるのか。それができてこそ、漫画映画の使命であると。

子供のおもちゃとしての夢ならば、それでいい。 子供時代はわからなかったことが、大人になるとわかるようになる。そうではない子供のためだけのものならば、廃れてしまうのだと。

他の映画に引けを取らない、映画にする。

そういう表現にしなければ、生き残らない。

これに対し、井戸原は返します。

「わかった。そこに意味があってもいい。純粋に誰でも楽しめるようにしろ。それができなければ失格だ」

坂場失格にしないためにも、チームは一丸になるしかありません。

結果的に、坂場は自分の哲学を追い求めるあまり、ハードルをあげてしまったのです。

つまり、坂場を救うためにも頑張れと。

これを知り、堀内はやる気を失いかけています。

 

勝手にハードルをあげた坂場のために頑張れって言われてもね。そりゃそうだよ。

うーん、この坂場の描写よ。

こういう奴は才能があるけど、とてつもなくめんどくさいと描く本作の誠意よ!

下山はフォローに入ります。

なつとマコをアニメーターとして成功させるためでもあるのだと。

みんなで協力しあってこそなのです。

そこへ、神地が登場。ちょっと遅刻気味だそうです。

それも夢中になって原画を描いていたからで……。

「おもしろいかどうか、見てください!」

これぞまさしく、神のようなタイミングだってさ。

 問題があっても、役立つんですね。

坂場にせよ、神地にせよ。なつにもそういうところがあります。

 

なつは、噴水前に坂場を呼び出します。

「仲さんに、なしてよくも!」

考えが古いとは何事か。そう迫るのです。

そういう単純なことではないと言っておきながら、これです。

「考えが古いというのは……」

「同じじゃないですか!」

「そうです。どうして怒るんですか? 仲さんを尊敬しているからですか?」認めおったわー!

これは、あるかもしれない。何かリメイクやシリーズ新作を褒めるファンを叩く心理にも通じるかもしれない。

あまりにとある作品が嫌い、あるいは好き――だからこそ反転した価値観を持たねばならないという心理とか。

自分自身よりも、自分が好きな作品を貶された方が怒る。一切の批判を受け付けない。そういう有毒なファン心理に似ているかもしれませんね。

坂場はそんななつの心理をふまえつつ、こう来ました。

「仲さんは面白い、素晴らしい。子供だけではなく、大人が見てもかわいいと思うものを作ることができる。僕もかわいいものは大好きです」

「真剣な顔で言わないでください」

真顔でかわいいもの好きを語る坂場に、思わず戸惑いつつ突っ込むなつ。

照れるとか、男だからとか、いい歳してそれはないとか。

そういう価値観と、こいつは無縁だから・・・ね😅

坂場はこう語り始めます。

彼も空襲体験がありました。

焼け跡で家族を探し、幸いに見つかったものの、餓死をするのではないか、そんな絶望ばかりを感じたものでした。

それを忘れられない。

大人の冷たさ、子供の卑しさ。

でも、見知らぬ人から受けた愛も知った。

「そういう子供の体験が、今の僕やあなたを作っている……違いますか?」

「だから何だと言うんですか?」

「だから、仲さんたちと違うものを作るのが、僕らの使命です」

そう言い切るのです。

 

一方のマコは、喫茶店で仲にこう訴えていました。

「最後まで、やらせてください。仲さんを邪魔するつもりはありません。みんなで決めた通りに作らせてください!」

この場面は、先週の喫茶店相談と比較すると、興味深いものがあります。

 

仲は理解しています。

「僕もきみも、あの坂場から影響を受けている」

「疑っていたけれど、坂場くんと奥原さんは本物です」

坂場はともかく、なつの才能を最初に見出したのは他ならぬ仲です。

 

そのころ、坂場はなつにこう言い切るのです。

仲とは違うアニメーターになって欲しい。

 裏も表も描く、現実をそのまま、子供に体験させるようなアニメーターになって欲しい。

「僕もそういう演出者になりたい……一緒に作って欲しいんです」

日差しの中、二人きりになってそう言い切る坂場。

父ナレも戸惑い、こう突っ込みます。

『なつよ、古い人間の私は、腰が抜けたぞ――。』

 

今日は、高山と坂場が問題提起しました。

【再鑑賞すると見方が変わる】問題です。

これは結構辛い――子供の頃大好きだった作品が、価値観の変化で否定されること。自分の変貌で好きじゃなくなること。これについては、苦しいと思う経験者も多いと思います∑(o゚ω゚o)ドキッ!!

#Metoo】への反応も典型例で、関係者の深刻なセクハラが明らかになり、もう二度と見る気がしなくなってしまうようなものも出てきます。あるいは作中の差別描写指摘に気がつき、嫌になってしまうとか💧

坂場の言うような、製作者の意図がわかってますます好きになることもあるのですが、そういう幸運ばかりでもないのです。

そこを受け入れられるのか?

実は難しいところです。

気がつかなかった過去の自分まで貶された、一緒に楽しんだ仲間ごと貶された――そう思った結果、攻撃性をむき出しにする心理も出てくるからですねヽ(д`ヽ)オロオロ(ノ´д)ノ