【半分、青い。】-論評編⑤-


イメージ 1『半分、青い。』は、いろいろな意味で賛否両論ありましたが、それはヒロイン鈴愛の職業の変化していったからでもあるでしょう。
それはクランボルツの「計画された偶発性理論」で見るとなかなか興味深いです。
📋計画された偶発性理論とは、「キャリアの8割は、予想しない偶発的なことによって決定される」と言います。そして、その偶然を計画的に設計し、自分のキャリアを良いものにしていこうという考え方です。
 
これまでの朝ドラでは、何かを目指して、または夫の夢を支えてその目的に到達するストーリーが多かったので、このドラマの主人公、鈴愛のように、仕事が何度も変わるヒロインも珍しいです。
まずマンガ家を目指していたので、てっきりマンガ家を目指して頑張るお話しなのだと思っていました。しかし、自身の才能に見切りを付けて、辞めた時点で、ほぼ前半が終了でした。実際、後半の話が始まった時は、別のドラマの様だ、という声も多かったです。
 
クランボルツの言うような「計画された偶発的な理論」で言えば、マンガ家になれたのも、どうしてもなりたくてなったというより、幼なじみの律がくれた少女マンガを読んだこと、その作者秋風に会えたこと、マンガ以上に祖父の五平餅が秋風に気に入られたことなどの「偶然」の先にあった印象です。
でも、鈴愛は転換期にはいつも自分の道を自分で決めていた。内定していた農協を断り秋風の塾に入ったことを始め、離婚後、実家に帰ったときも友人が用意した就職先に見向きもせず、社長になると宣言し、カフェをオープン。お一人様メーカーを始めて商品が売れなかった時も、五平餅の屋台を引いて売る、など。
結婚した時に、夫の涼次に、監督になる夢より生活の安定を訴えたことはあったのですが、結局、いわゆる安定からは遠い生活を自分で選んでいました。波乱万丈でも何とかなっていったのは、フィクションとはいえ、計画的な偶発性を感じました。
 
イメージ 2さて、その偶然を計画的に設計なんてできるのか、ということですが、クランボルツの理論では、次の5つの習慣によって可能にすると言います。
1)好奇心(2)持続性(3)柔軟性(4)楽観性(5)冒険心
これらを意識して動くことが、偶然の用でも何らかの道を作ることになるということでしょうか。実際、鈴愛には、この5つが、十分にありました。 (2)の持続性についても、マンガ家をあきらめませんでした。挫折してやめたことを考えると矛盾するようですが、自分の才能の限界までとことんやったからこそ、手放せたのでしょう。中途半端でやめなかったからこそ、引きずらず、次にシフトでた。あの時、ああしておけばよかったとか、そんな後悔も入る余地がなくなるまでです。それだけ、本人としては納得がいっての引退、そこまでとことん持続したからです。
離婚した涼次もそう。映画監督になる夢をとことんやらないまま生きることはできなかったから、家族を捨てても取り組んだ。結果として、監督になった。 律もまた然りです。彼のロボットの夢は、会社員時代にスタンフォード大学で研究もしたのに、帰国後、不景気でロボットの開発部署が閉鎖。エンジニアの仕事ができなくなった時、ロボットに限らず、自分が人を幸せにする「もの作り」が原点にあったことに気づき、大手を辞めて起業します。
マンガの巨匠、秋風にしても、かつては百科事典のセールスマン。その切れ者マネージャーの菱本若菜も、大手出版社から不倫が原因で退社、秋風に拾ってもらった過去があります。
 
イメージ 3鈴愛には一貫性がないようですが、持続性以外の4つも人一倍あったため、人と出会い、巻き込みながら助けられて人生がいつの間にか進んでいく。計画的な偶発性というと、何やら意図的なものを感じますが、たぶんとてもシンプルなことでしょう。

つまり、出会った人から新しい世界や価値を知り、興味をもって自分なりに咀嚼(そしゃく)して方向を見出し、さらに頑張ってみる、人に自分の夢の思いをどんどん伝える、なんとかなると自分の気持ちを裏切らないということ。

 
イメージ 4次々に、新しい夢に変わっていくのも、今までの朝ドラにはないパターンだと思いますが、一つの夢を追うことだけが良い人生だとは限らないと教えてくれました。そして、一つの夢を追い続ける人よりもまた、違うものに出会って新たな夢を実現するパターンの人の方が多いのではないでしょうか。
 
カラーセラピーの世界では「青」に、持って生まれた使命、天命の探求を見ることがあるそうです。でも、そんな「青」は半分にしておけば、あとの半分は、もっと自由にしなやかに自分の理想の人生を追いかけられるのかもしれません
 
今回『半分、青い。』で、どんな流れであれ、自分の人生を懸命に生きる、それでいいというメッセージを感じることができたのだ。