【半分、青い。】ー論評編①-
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/18/cvyedk0801/8e/4c/j/o0640064014436333508.jpg?caw=800)
朝ドラでは、ヒロインが仕事を通して成長していく過程が描かれるが、仕事を辞めるのは、結婚(母親)と仕事のどちらかを選ばなければいけない時である。そして多くの場合、ヒロインは仕事をやめて母になることを選ぶのだが、鈴愛は、才能がないという身も蓋もない理由で漫画家を辞めてしまい、その後、仕事を転々とする。
恋愛の描き方も新しかった。幼なじみの萩尾律に特別な運命を感じながらも、鈴愛は別の男性と恋愛しては失恋し、律もまた別の女性と結婚してしまう。ドラマでは意外な展開だが現実にはよくあることである。さすが恋愛ドラマの名手・北川悦吏子先生だと思う。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/18/cvyedk0801/fa/d2/j/o0400028014436333535.jpg?caw=800)
朝ドラヒロインが抱える優等生的役割をいかに脱却するかというのは、2010年代の朝ドラが抱えた大きなテーマだった。が、そういう葛藤自体を粉々に破壊して終わらせたのが本作だった思う。
もう一つ、画期的だったのは、劇中で描かれた時代だ。本作では鈴愛が生まれた1971年から、東日本大震災の起きた2011年までの40年間が描かれた。中でも力が入っていたのが、80年代後半から90年代初頭。言うなれば本作は70年代生まれの個人史を描いた朝ドラということになる。この世代は“団塊ジュニア”と言われる世代でありどこか懐かしさを感じた人も多かったのではないか?
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/18/cvyedk0801/33/51/p/o0263031514436333565.png?caw=800)
『あまちゃん』では80年代後半と東日本大震災へと向かっていく2008年以降の日本がアイドルと芸能界というモチーフを通して描かれていたが、本作が優れていたのは80年代の芸能界をノスタルジックに描く一方で、2010年代のネットカルチャーを媒介にして盛り上がるライブアイドル文化の輪郭を必死で捉えようとする試行錯誤が見られたことだと思う。
これは宮藤官九郎の脚本だけでなく、チーフ演出の井上剛たちによる映像面でのこだわりが大きかったと思う。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/18/cvyedk0801/ad/28/j/o0968120014436333632.jpg?caw=800)
ただ、これは仕方がないのかもしれない。本作は、劇中の時間がポンポン飛ぶことが批判されたが、基本的に本作は鈴愛が興味のないことは描かないという作りになっていた。2011年の東日本大震災も、親友の裕子が亡くなるという形で描かれていたが、どこまで行っても個人史でしかないというのは、本作の魅力であると同時に限界である。出てくるキャラクターは魅力的で、瞬間々々は面白いのだが、物語が行き当たりばったりに見える場合があったのは残念です。まぁ、鈴愛がそういう直情的な性格だから仕方ないと言えば、それまでですが・・・