【半分、青い。】-岐阜・故郷②-


イメージ 1岐阜・故郷編では2つの死が様々な批判を浴びた。1つは仙吉さん、これは仙吉の死そのものではなく。花野が仙吉の葬儀で仙吉が安置されてる布団の中から出てきたことに対する批判だ。人の死を笑いにしてるとか弄んでいると批判になってない批判だ。
花野はまだ5歳である、人が死ぬ意味を理解できるはずがない。少なくても私はそうだった。
花野ぐらいの時祖父が亡くなり私も「おじいちゃんと一緒に寝る」といって花野みたい安置されている祖父の布団の中に入ろうとしたらしい。花野も大好きなおーちゃんと何時ものように眠ろうとしただけだろう.それをなにムキになって批判する意味がわからない。
 
イメージ 22つ目は律の母親の和子さんの死です。これはナレ死と批判され簡単に死を扱うなとか和子さんを死なせる意味があるのかと言われた。が、私にしたら彼女の死のどこがナレ死なのか分からない。岐阜犬を介しての律と和子さんとの会話でちゃんと和子さんの死というものを描いたと思う。岐阜犬がいたからこそ、今まで言えずにいた母への想い。死の間際にいる母に何もでない自分の不甲斐なさを打ち明けることができその相手が和子さんであってからこそ感動の告白を生んだのでは。北川先生も演じてた佐藤健さん、原田知世さん皆さんが心に残った場面だと言った『半分、青い。』に数多くある名シーンの中の一つであるといえる。現実的に人は生きているかぎり必ず死というもの関わる。死というものにどう向き合うか、死をどうとらえるかは人それぞれで他の人がとやかくいうものではないとおもう。全く人の死に関わらない人生なんかない。生きいてる限り当たり前の事だ。北川先生はそんな当たり前のリアルを岐阜犬と共にとても秀逸に描いた。
ただ少しだけ残念に思うのが、北川先生がTVのインタビューで-律と和子さんを会話を感動的なものにするのには岐阜犬を使うことを想いついたと仰ったのを聞いて、この感動が個人的には少し軽いモノになったかなと感じたことですね。態々仰らなくても『半分、青い』は感動するところは間違えなくシーンでも感動出来ますので!