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On the Crossroad

Yes ! We are G !

 昨日(2019年7月12日)、東京品川駅で開催されたれいわ新選組「れいわ祭」の動画を見ますと、港南口前の広場に溢れんばかり詰めかけた聴衆たちから、山本太郎を始めとするれいわ候補者たちのスピーチに対して盛んに歓声や拍手が沸き起こっていまして、ますます勢いづいてきているれいわ新撰組のパワーを肌身で感じとることができます。

 2019年夏の参院選において、間違いなく台風の目となっているれいわ新選組の活動は、現参議院議員山本太郎が小沢一郎の下を離れて、たった一人で動き始めたことから始まったのはもはや説明するまでもないでしょう。現在では10名の個性際立つ候補者たちを擁するこの政治団体も、旗揚げ当初はまだ世間からあまり注目を浴びることもなく、山本太郎の孤軍奮闘ばかりが目立っていました。そんな時期の今年5月5日、当の山本太郎が私の地元の小倉(北九州市)で街宣を行うという情報を得て、私はその現場に行ってきました。

 それまで私は山本太郎の国会議員としての活動はあまりよく知らず、折にふれてツイッターにアップされる動画などを見て、「けっこう良い事を言っているけど、ちょっとキワモノっぽいかな…」という程度の認識しかありませんでした。しかしSNS上で彼を支持する声が次第に増えている状況から、彼がどこまで本物か見極めてやろうという、多少意地悪な動機もあってその日の街宣を見に行ったのでした。まさかそれが彼の「伝説的街宣」となろうとは夢にも思わずに…

 

 当日は五月晴れの爽やかな日で、GW中でもあり小倉駅南側の小倉城口広場はかなりの人出でしたが、演説開始時間直前になっても街宣場所にはまだそれほど人が集まっておりません。5月初めですからまだ風が少々冷たく、次第に西側のビル群へと夕日が傾いていく中、会場前でスタッフさんに手渡されたチラシを読みながら少々手持ち無沙汰にしていますと、係の人から通行の妨げにならないようにもっと前に来るように促されました。そこで言われるがままに移動しますと、いつの間にか最前列、しかも太郎さんの真正面という、なにやら妙な緊張を覚えるポジションに立っていたのでした。

 

 ほぼ定刻通りに演壇に立った太郎さんはデニムのジャケットに純白のTシャツというラフな格好で、そのTシャツの下で鍛え上げられた筋肉がはちきれんばかりに充満している様子が印象的でした。彼の背後には大型のモニターが設置されていまして、出来上がったばかりの「れいわ新選組」のロゴが映し出されています。このモニターは、演説のポイントポイントで太郎さんの話を補足し、また言葉で説明しにくいデータやグラフなどを表示して聴衆の理解を助けるという、とても優れたデバイスでした。

 

 

 太郎さんは初めに自己紹介と、自由党から独り立ちした経緯を簡単に述べ、それから「山本太郎が総理大臣だったら何をする?!」というタイトルのチラシ(永田町恐怖新聞 vol.9)に載っている政策の説明を行います。

 

<山本太郎は何をしたい?!>

・まずは消費税を廃止に。

・コンクリートも人も

・全国一律!最低賃金1500円「政府が補償」

・公務員を増やします

・安い家賃の住まい・奨学金チャラ

・原発即ゼロ、再稼働しない。被爆させない。

・真の独立国家を目指す

・お金配ります

・財源はどうするの?

 

 これらの項目について、ひとつひとつ様々なデータを駆使しながら太郎さんは語っていくのですが、驚くべきことに後ろのモニターに表示される膨大な情報が完全に頭の中に入っているらしく、決して簡単でない内容を明快に、理路整然と、歯切れよく、しかもユーモアを交えながら人好きのする関西弁で説明していく姿に、まずは心を掴まれたのでした。

 中でも特に強調されたのは、チラシの表紙にも謳われている「消費税の即刻廃止」でして、MMT理論を援用したその財源の問題など、必ずしも完全に同意できるものではありませんでしたが、それでも彼の説明は大いに説得力がありました。その他の項目についても私がかねてより感じ考えていた事柄とおおむね一致するもので、さらにそれを強力にブラッシュアップしてくれるスピーチでしたので、「こんな政治家がこの国にいたんだ!」と驚き喜んで聞き入っておりました。もうこの時点で完全にファン目線ですね。

 

 次いで聴衆たちとの質疑応答に入りまして、私などはもう少し政策内容の説明を聞いていたかったので少々残念に思ったのですが、実はここからが太郎さんの本領発揮、面目躍如となるとは知る由もなかったのでした。

 まず最初に質問に立ったのは、太郎さんの街宣をすでに何度か聞いていると思しき細身の青年で、公職選挙法に定める戸別訪問の是非に関する内容でした。私も質問が途切れたら早速聞いてみようといくつかのテーマを考えていたのですが、意外にも次から次へと質問者が立ち、私の出る幕がありません。

 

 質問の内容は実にさまざまでしたが、太郎さんが見事なのはどんな質問にも誠実かつユーモラスに答え、そればかりでなくそこからたちまち自分の信念と政策に話を敷衍していくところでして、必要とあらば即座に関連するデータをモニターに表示し、時にはデータを離れて彼の思いの丈を熱い口調で語るのです。その言葉のひとつひとつは彼の6年間の政治現場の活動経験に裏打ちされ、つねに弱者や虐げられた人々の側に立ち、市井に懸命に生きる人々への信頼と愛情、そしてそのような人々を踏みにじって恥じることもない強者たち、大企業、政府に対する怒りに満ち溢れていました。私たち聴衆はその迫力と情熱と人間愛にすっかり圧倒されてしまい、しばしば拍手を送ることすら忘れそうになるほどでした。

 

 ちょっと気の強そうな高齢女性から「れいわ新選組」という名称について厳しい質問をされたときも、短い選挙期間の中で誰もが知っている新元号(そして総理があたかも自分のものであるかのように言及する元号)をあえて冠し、時の権力者の徳川幕府の手先であった「新撰組」の名称を、現在の権力者、それは政府ではなく我々国民のために奉仕する者と読み替えて自らの政治団体の名称とした経緯を彼は丁寧に説明しました。

 次いで高齢の男性から、「いったい一人で何ができるのか?」と問われて太郎さんがそれに答えた場面はこの日の街宣のハイライトシーンとなりました。これは私が説明するよりも、見事な動画が上がっておりますので、ぜひこちらを御覧ください。

 

 

 これはこの時の雰囲気が非常によく捉えられています。拍手がまばらなのではありません。この頃にはもうかなりの数の聴衆が詰めかけていましたが、ほとんどの人が太郎さんの情念に圧倒されて拍手や声援を忘れて聴き入っているのです。この場面を、最前列で、太郎さんの真ん前で見ていた私の驚きと感動も想像できるでしょう?

 

 5月上旬はまだ日が落ちるのが早く、街宣会場はもう夜の闇に包まれています。前日の福岡街宣は2時間に及んだそうですが、この日は午後5時半に始まった街宣が8時を過ぎてもまだ続いておりました。太郎さんは時折携帯ボンベで酸素吸入を行いながら、最初から最後までとてつもないエネルギーと情熱を以て演説と質疑応答を行ってくれました。街宣終了後には太郎さんとツーショット写メを撮ってもらえる嬉しい特典もありまして、感銘を受けた多くの聴衆たちは太郎さんの存在を世間に広めるべく、スタッフさんたちから次々とポスターを受け取っておりました。もちろん私もその一人です。

 

 60年代末にロンドンにジミ・ヘンドリクスが登場し、目の肥えた聴衆たちの前でギターをプレイしたとき、それまで観たこともなかったような斬新なスタイルに人々は仰天してしまいました。エリック・クラプトンとピート・タウンゼント(THE WHO)は女学生のように手をつないだまま、あんぐりと口を開けて彼のプレイに見入っていたそうです。ジミのライブを観てそれまでのギター・プレイの概念をひっくり返された人々は、その体験を「ジミ・ヘンドリクス体験 Jimi Hendrix Experience」と呼び、それは彼のバンドの名称にもなりました。

 山本太郎の演説を生で体験した人々の多くは、おそらくこれまでの政治家や政治に対する概念がひっくり返されてしまったに違いありません。それほど太郎さんのスピーチは強烈で、刺激的で、感動的なのです。私はこれを「山本太郎体験」と呼びたい欲望を抑えきれません。

 

 幸いに、参院選の投票日まで1週間以上あります。太郎さんと、そのキャラの濃い9人の仲間たちの街宣に直に接する機会はまだまだ残っています。もしこの拙文に目を留めていただけたのなら、そして太郎さんの街宣をまだ観たことがないのなら、ぜひいちど直にご覧になることをお勧めします。

 

 Are You Experienced ?

 

 

 デヴィッド・ボウイの出世作「ジギー・スターダスト The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars (1972)」というアルバムは、異世界から訪れたロック・スターのジギー・スターダスト(スターマン)の物語を中心に、さまざまなテーマを扱ったロックンロール曲群のクオリティの高さと、それらを挟んで最初と最後に配された「ファイブ・イヤーズ」「ロックンロール・スーサイド」という2つの永遠の名曲によって、時代を超える傑作となることを運命づけられていました。

 「ロックンロール・スーサイド」に関しては、歌詞の一部が朝日新聞のコラムにも引用されるほど我が国においても人口に膾炙していますので、ここでは省略しておいて、あまり知られていない方の「ファイブ・イヤーズ」を今回は訳出してみました。

 

 

ファイブ・イヤーズ Five Years

 

マーケット広場の人混みに分け入ると

たくさんの母親たちがため息をついていた

ニュースがたった今届いたばかりだった

僕らには、泣くために

あと5年しか残されていないんだと

 

ニュースキャスターがすすり泣きながら告げた

「地球は本当に死につつあります」

泣きすぎて顔が涙でびしょ濡れだったので

彼が嘘をついているのではないと分かった

 

電話やオペラハウスやお気に入りの曲を聴き

少年たちや玩具、電気アイロン、TVを観た

ぎっしり満杯の倉庫のように

僕の頭は痛んでいた

そこにあるもの全てを覚えておくために

多くのものを詰め込まなければならなかったから

 

すべてのでぶややせっぽちの人々も

すべてののっぽやちびの人々も

すべての名も無き人々も

すべての名の通った人々も

 

こんなにもたくさんの人々を必要としていたなんて

今まで思ってもいなかった

 

僕と同じ年頃の女の子は気がふれて

小さな子どもたちをひっぱたいていた

黒人がむりやり引き離さなければ

彼女は子どもたちを殺してしまったかもしれない

 

腕の折れたひとりの兵士が

キャデラックのハンドルをじっと見つめていた

お巡りが跪き、司祭の足に口づけしていた

そしてその光景を見たホモが嘔吐した

 

僕はきみをアイスクリーム・パーラーで見たと思う

冷たく長いミルクセーキを飲みながら

微笑み、手を振り、とても可愛いらしかった

まさかこの歌にでてくるとは思ってもなかったよね

 

寒くて雨が降るので、僕は役者のような気分になった

母のことを考えると、彼女のもとへ帰りたくなった

あなたの顔、あなたの人生、あなたの話し方

キスをするよ、あなたは綺麗だ、また一緒に歩きたい

 

あと5年しかない、眼に焼き付いてる!

あと5年しかない、まったく何てことだ!

あと5年しかない、頭がひどく痛む!

あと5年しかない、それが全てだなんて!

5年間!

 

 

 「ジギー・スターダスト」はキリスト教世界(というか、ヨーロッパ文化全体)の底流となってさまざまな文化的創造物にくり返し顔を出してくる「メシア殺し」の物語がメイン・テーマとなっていますが、冒頭の「ファイブ・イヤーズ」という曲はその物語の背景を提示する作品となっています。

 何やら理由はよくわかりませんが、「地球はあと5年で寿命が尽きる」という事実が判明した時の人々の様子がメランコリックに、少々アイロニカルに描写されています。語り手は名もなき青年で、再びアルバムに彼が登場することはありません。

 

 歌詞は来るべき世界の終焉を知った彼が、いわゆる「末期の眼」でもって自分の住む世界を見つめている様子が描かれています。絶望した人々が織りなすさまざまな狂態も軽くスケッチされていますが、それよりも印象的なのは、なにげない日常の音や光景、おそらく彼がこれまで疎外感を抱いていたであろう社会に対して、突然限りない愛おしみを感じて、全てをひとつ残らず慈しみ抱擁しようとする彼の優しい心情ではないでしょうか。

 「ジギー・スターダスト」を世に出した頃のボウイは、確か25歳ぐらいの青年で、その彼がこのような成熟しきった歌詞を書いたことも驚きですが、その後晩年まで外見やキャラクターや音楽スタイルを次々と変化させていったボウイに一貫して備わっており、それゆえに世界中のファンを惹きつけ続けた彼の心の底の優しさがこの曲にはよく現れているのがなんといっても魅力的です。

 

 

 たまたまCDショップの店頭で、デビッド・ボウイの最新作「★(ブラックスター)」を購入したその日の夜に、彼の訃報を聞きました。それ以来、彼の過去のアルバムを頻繁に聴くようになり、改めて自分のボウイ好きに気づいた次第です。

 もちろん80年代後半以降はほとんどボウイに対する関心も失せていて、時たま思い出したかのように「ヒーローズ」や「ロウ」を聴き返す程度だったのですが、久しぶりに新譜で聴いた前作の「The Next Day」が思いがけずクオリティの高い作品でしたので、今回の新作には大いに期待を寄せていました。しかしアルバム・タイトルは何やら不吉な「暗黒星」、しかも遺作ということですので、聴き始めるのにはいささか勇気を奮い起こす必要がありましたね。

 

 タイトル曲で10分弱の大作の「★」は、ボウイにしては珍しくキリスト教的なメタファーが目立つ作品です。CD付属のブックレットに載っている訳詞がなんとなく私の性に合わないので、自分で訳出することにしました。

 

 

★ (blackstar)

 

オルメン(蛇)の館に、オルメンの館に

ひとつの蝋燭が立っている、ああ、ああ

全てのものの中心に、全てのものの中心に

君の眼

 

処刑の日に、処刑の日に

女たちだけが跪き微笑む、ああ、ああ

全てのものの中心に、全てのものの中心に

君の眼、君の眼

 

オルメンの館に、オルメンの館に

ひとつの蝋燭が立っている、ああ、ああ

全てのものの中心に、全てのものの中心に

君の眼、君の眼

 

ああ、ああ

 

彼が死んだ日に何かが起こった

霊魂は1メートルも浮き上り、場所を譲ると

他の何者かがその場を占めて、雄々しく叫んだ

「私はブラックスター、暗黒の星」

 

どれくらいの回数、天使は堕落するのか?

どれくらい多くの人々が、高言する代わりに偽るのか?

彼は聖なる大地を歩み、群衆に向かって高らかに叫んだ

「私はブラックスター、暗黒の星。ならず者ではない」

 

何故かは答えられないが(私はブラックスター)

ただ私と共に行け(私は映画スターではない)

私はきみを家に連れて行く(私はブラックスター)

きみの旅券と靴を取れ(私はポップスターではない)

そして鎮静剤もね、おっと…(私はブラックスター)

きみはつかの間の輝きだが(私はコミックのスターではない)

私は偉大なる存在者である(私はブラックスター)

 

私は暗黒の星、高みにあり、金も儲けた

正しく、広く、寛大なる苦痛を私は見る

白昼夢には鷲を、眼にはダイアモンドを私は欲する

「私はブラックスター、暗黒の星」

 

彼が死んだ日に何かが起こった

霊魂は1メートルも浮き上り、場所を譲ると

他の何者かがその場を占めて、雄々しく叫んだ

「私はブラックスター、星の星、暗黒の星」

 

何故かは答えられないが(私はならず者ではない)

やり方はきみに教えられる(私はペテン師ではない)

私たちは逆さまに生まれてきた(私は星の星)

あべこべに生まれてきたのだ(私は白い星ではない、暗黒の星だ)

おお(私はならず者ではない、私はブラックスター、暗黒の星だ)

おお(私はポルノスターではない、私は惑星ではない)

おお(私はブラックスター、暗黒の星だ)

 

オルメンの館に、ひとつの蝋燭が立っている

ああ、ああ

全てのものの中心に、君の眼

処刑の日に、女たちだけが跪き微笑む

ああ、ああ

全てのものの中心に、君の眼

(君の眼が、ああ)

 

 

 いきなり「ormen」というワケの分からない単語が出てきて面食らいましたが、これは古代ノルド語で蛇(serpent)を表す言葉のようで、ヴァイキングの伝説に出てくる長蛇号(Ormen Lange)という有名なロングシップの名前に用いられていましたね。

 「全てのものの中心に at the centre of it all」という歌詞からは、「Jesus, at the centre of it all」というゴスペルが連想されます。また、「処刑の日に、女たちだけが跪き微笑む」というラインからは、イエスが十字架に架けられた時、男の弟子たちは皆逃げ去って、彼を慕う女たちのみが刑場に残ったというエピソードが思い起こされます。

 「私は偉大なる存在者である」と訳したラインの原文は「I'm the GREAT I AM」というもので、これは旧約聖書で神が自らを名乗った言葉(だから大文字)です。もっとも、英訳聖書に即して言えば、「I am THAT I AM(わたしは「あるところのもの」である)」となりますが。

 

 こんな風にキリスト教的アナロジーが散りばめられた歌詞から、この「★(ブラックスター)」とはアンチキリストを意味すると考えられるのですが、実際に曲を聴いてみますと、「I'm a blackstar」と繰り返す声はなぜか弱々しく自信なさげで、しょーもない語呂遊びにふけっているところがいささか滑稽でもあり、あまり禍々しい存在ではなさそうに思えますね。

 

 「混沌とした現在の世界情勢から、陰鬱な黙示録的状況の到来を予言する」、といった風な分かりやすいこと(浅はかな預言者気取り)をやるようなデヴィッド・ボウイではありませんから、この曲には多くの謎が秘められています。今後彼の遺した作品に関して、斬新な解釈が数多く登場することを期待しておきましょう。