海外で家族の訃報に接したとき | ITエンジニア母と息子たちの日々

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小学校4年生と年長の男子2人を育てるフルタイムワーママです。ワーママ→タイ駐妻→再びワーママに。社会人13年目にして初めての転職。

こんにちはニコニコ

 

最近また全くブログの更新ができずあせる

 

書きたいことはたくさんあるのだけれど

今日は先週、祖父が亡くなった時のことを。

 

クローバークローバークローバー

 

先々週から長男がずっと体調を崩していて

熱もなかなか下がらず、お腹の調子もひどく

 

看病や病院通いと

元気いっぱいの下の子の世話で

 

私もずいぶんと疲れていました。

 

ようやく少し回復の兆しが見えたかな、

と思えた先週月曜日。

 

 

早朝に届いたのは祖父の訃報

 

突然の、というわけではなく

体調を崩していることは知っていて

 

もうそう長くは持たないからと

今週末からの一時帰国で

会いに行こうとしていた矢先でした。

 



家族に何かあった時に

すぐに駆け付けられないのが

 

海外生活の一番ツライところ。

 

 

長男の体調も回復しきっていなかったし

 

寂しい思いはしたけれど

今回は葬儀への参列も難しいかな

 

当初はそう考えていました。

 

 

だけど

 

葬儀場の飾る祖父の写真を

探してほしいと日本の家族に頼まれ

 

PCをあさり祖父との写真を見ていると

 

やはり姿あるうちに会ってお別れがしたい

 

そんな気持ちが大きくなりました。

 

 

同時に夫が会社で事情を話したところ

 

もし子どもたちがタイに残るなら

会社に連れてこればいいじゃん、と

 

タイ人スタッフ達にあっさり言われたと。

 

事実タイ人は子連れ出勤する人もよくいて

夫の会社でも学校終わりの子どもが

母親の仕事が終わるまで職場で待っている、

という光景は時々あるようです。

 

 

 

ひとまず両親には

 

「長男の体調が落ち着いたら行く」

 

そう伝えて、長男の様子を見つつ

何とか駆け付けられる方法はないか

 

考えました。


 

調べれば調べるほどに

 

日本の空港からの移動も考えると

 

祖父のところにたどり着くのは

予想以上に時間がかかることが判明。

 

 

日本が遠い

 

外国にいることを改めて実感しました。

 

 


 

その後長男の体調はなんとか回復。

 

幼稚園に行ける状態になったことを見届けて

日本行きの航空券を取り 


次男と2人日本へ向かいました。

 

 

長男は幼稚園もあり

なにより病み上がりの状態で

ハードな移動をさせることが不安だったため

タイでお留守番してもらいました。


 

一度はパパとお留守番することに

理解を示していた長男も

 

私と次男が家を出るときには涙目に。

 


だからと言って今さら引き返せないのですが

 

本当にこれでよかったのかな


長男を泣かせて

次男に負担をかけて

夫や周りの人に迷惑をかけてまで

やることだったのだろうか、と

 

移動する道中では

後悔の気持ちでいっぱいでした。

 



でも、

15時間の移動を経て祖父の家に着き

祖父の亡き骸に対面したとき

 

そんな気持ちはスッと消えました。

 

 

やっぱり来てよかった

顔が見れて良かった

 

心からそう思いました。

 

無事、通夜・告別式に参列をして

タイに戻ってきた今、

 

その気持ちはより大きくなっています。

 

 


 

結果的に

タイでお留守番をしていた長男は

 

体調も良く無事幼稚園にも行けて

 

幼稚園が終わった後は夫の会社で

ワークや迷路をして待たせてもらったり

 

別の日は夫が帰宅する夕方まで

同じコンドのお友達と遊ばせてもらい

 

楽しく過ごせていたようです。

 

 

移動ばかりで体力が心配だった次男も

 

夜行便をものともせず

 

タイの空港でのチェックイン時から

関空で飛行機を降りるまで

ずっと寝ていてくれて

 

特に体調を崩すことも

ありませんでした。

 

 

 

今回私が祖父のもとに

駆けつけることができたのは

 

夫の会社の方々

コンドのお友達

幼稚園の事務の方

 

そしてなにより夫と子供たちの

理解・協力のおかげです。

 

 

心から感謝すると同時に

 

たくさんの方々に支えられて

海外生活を送っていることを

 

改めて実感しました。

 

クローバークローバークローバー

 


最後に祖父のことを少し。

 

大正の終わりに生まれ、

令和のはじめまで生きた祖父。

 

農家で米作り・野菜作りをしながら

冬は杜氏としてお酒づくり。

 

本当に働きもので

90歳になるまで畑に出ていました。

 

小さい頃の祖父との思い出は

本当に楽しいことばかり。

 

私が東京に出てからは

会う機会はめっきりと減ってしまったけど

 

私の結婚式などで東京に来てくれた時は

 

その土産話を嬉しそうにしていたと

葬儀の場で親戚から教えてもらいました。

 

ひ孫が生まれた時も喜んでくれて

 

息子を連れて会いに行ったときには

家の中からくしゃくしゃのお札をかき集めて

 

息子の誕生日祝いをくれようとしたことも。


口数は決して多くなかったけれど

 

家族にたくさんの愛情をくれ

強く逞しい姿を見せていてくれた祖父。

 

本当にお疲れさまでした。

 


天国で祖母と久しぶりの再会を果たし


大好きなお酒を

楽しんでくれていたらいいなと思います。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました流れ星