今日は東日本大震災から5年。

我が家は夫が復興支援の仕事をしてる関係で

この日が一番大変な日。

3月になると夫婦そろって眠れない日々が続きます。

夕べも何度もうなされて起きたら夫もうなされていました。




今年も献花に行く予定でしたが、今日に限って

夫の風邪がうつり献花に行かず病院に行きました。

すみません。

うなされて気が付いたら15時。



何年経っても怖くて・・・あのときを迎えられません。



震災から5年・・・・。このときだけいつも震災のTVばかり。

なんだか寂しいですが、先日、岩手でお世話になった

ボランティアセンターがTVに映り、

お世話になった皆さんや職場が映った。

ほんと、嬉しかった。みんな元気そうだった。

一番大好きなおばあちゃんも映った。もう4年近く会ってないけど

みんな変わらず元気そうで安心しました。



私は未だに岩手のボランティアを手伝ってます。

神奈川の自宅に着払いで仕事を送ってもらって自主的にやってます。

できれば岩手まで行きたいけど、旅費がかかるのと

やっぱり夫を支えるのが一番なので、なかなか岩手まで行けません。



震災があって横浜→仙台→岩手に引っ越し

東京から復興支援をするために生まれ故郷に戻ってきました。

というか、私たち夫婦をご推薦してくださった方がいて

夫婦で東京に呼んでくださいました。

無職だった私にもお話しが舞い込んで驚きました。

復興支援がんばってる方々は、いっぱいいっぱいいます。

私たち夫婦も休日も沿岸に行ってイベントに参加したり

被災地のために誠心誠意を尽くしたつもりです。

でも私たち夫婦の存在なんてちっぽけな存在なのに

こんな立派なところに呼んでくださったことに本当に感謝しています。

そして、今までずっと支えてくださった皆さん

応援してくださった皆さん

支援物資を送ってくださった皆さん

心を寄せてくださった皆さん

本当に本当に感謝しています。

ありがとうございました。



私が岩手でボランティアをやってるのを知って

実家の近所の97歳のおばあちゃんが被災地のために

1000枚ものマフラーを作ってくださり

岩手まで送ってくださいました。

その後、マフラーに命を捧げるかのように

亡くなってしまいました。

おばあちゃん、被災地のためにありがとう。

嬉しかったよ。

本当にありがとうございました。



4月からまた仙台に戻ることを志願していました。

生まれ故郷を去るのはつらいのですが被災3県を担当した人は

日本でもほんのわずかしかいないので

仙台に戻ることを志願していたのですが

急に転勤がなくなりました。

これも5年という歳月なんだな・・・って思いました。

目に見える復興は限られているけど

5年の間にずいぶんと復興したんだと思いました。



私は神奈川に戻ってきて東京で仕事をしましたが

夫がそんな仕事をしている関係で職場の人に

政治家に会わせろとか言われてしまい

仕事を辞めました。

これも震災から5年。5年前は軽率な言葉を慎むのが

当たり前でしたが、今では違う。

震災の風化もあるんでしょうね。

私たち夫婦は5年も真面目に被災地に誠心誠意を尽くしてきたのに

それを利用して政治家とパイプをつなぐなんて酷いです。

そんな国民がいるなんてショックでした。

東京の職場の人には、東北の現状がわからないみたいで

軽率なことを言われたり、そういう話は聞きたくないんだよね

とか笑われたり、ずいぶんとショックを受けましたが

それも現実。被災した東北と関東の受け方が違うし

風化というものを肌で実感しました。




ほんとこの5年で色んな事がありました。

仙台ではようやく授かった子供を流産。

大量出血して3日も気を失うほど寝込みました。

今思えば、自分の命も危なかったんだと思います。

頼る人もいないし大量出血して動けず

意識もほぼないし、病院もわからず・・・

夫は仕事でいなくて一人で被災したマンションで寝ている間も

何度も余震が襲い、危ないと思いつつ動けず怖かったです。

そんな私のことを知って、岩手県宮古市出身の女性が

見ず知らずの私のためにお守りを送ってくださいました。

今も大事にとってあります。

私や子供のために泣いてくれて祈ってくれて

ありがとうございました。



宮城から岩手に引っ越すときは「宮城の復興が終わっていないのに

岩手に行くのか!」と言われて、新幹線の中で涙が出ました。

岩手から神奈川に行く際もそんなことを

言われるんじゃないかと思いましたが

快く送り出してくれました。

県庁の皆さんにも「ファイト!」と言って送り出して頂き

本当にありがとうございました。

皆さんのこと、忘れません。



初めてボランティアに行ったときに被災者が

あんたも大変だったねと声をかけてくださりました。

復興支援者なんかにお礼を言う人なんていません。

はじめて優しい声をかけてくださり涙が出ました。

その言葉に救われました。

ありがとうございました。




被災者の多くの人の涙も話も忘れません。



私もあの地獄絵図のような惨状、腐敗臭




自衛隊のヘリコプターの音、

埃を巻き上げながら瓦礫を運ぶトラック

防潮堤より高く積み上げられた瓦礫の山

真っ黒に焼けた学校




更地になった被災地





死ぬまで忘れません。



震災から5年。

国の集中復興期間が終わり、夫も

復興事業から外れることになりそうです。

去年は夫の家族が亡くなってもお休みが取れませんでした。

5年ぶりにお休みが欲しいです(笑)



次の転勤先はまだ決まっていません。

海を渡る話もチラと出ました。日本からも出たいです。



先日、夫の上司から奥さんに苦労かけさせましたと

お礼が送られてきました。

なんか、やっと終わったんだなと思いました。

これでようやく私たちも

自分たちの人生を考えられるようになりました。



でも、まだまだ復興は続きます。

私もまだまだボランティア活動やります。



でも、本当にこの長い5年間。

何度も嫌になり、この現状が辛くって涙が出ましたが

無事にやり遂げることができたのも

支えてくださった多くの皆さんのお陰です。

ありがとうございました。

そして、被災しながらも頑張ってる皆さんに励まされ

自分も頑張れた。

勇気をくれた被災者の皆さん

本当にありがとうございました。



これからもまだまだ東北の復興は続きます。

これからもずっと

皆さまの心温かいご支援を賜りますようお願い申し上げます。



そして、被災地に少しでも多くの笑顔が戻ることを

心からお祈り申し上げます。



東日本大震災で被害に遭われた皆さまに

お悔やみ申し上げますと共に

ご冥福をお祈りいたします。



そしてずっと東北のために励ましてくださった

世界中の皆さまに感謝申し上げます。





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